20061027

播半




事務所に程近い甲陽園の老舗料亭旅館「播半」は昨年から休業となり(実質は廃業)、大規模な開発計画が提出されていると聞いたのは1年も前のことだったように思う。谷崎の細雪に登場したり、先の天皇が宿泊されたほどの料亭であった。今日の新聞には、近日の取り壊しが決まり、 播半の元所有者のコメントとして、開発業者が室内を土足で歩き回る姿をみて悲しくなった、とあった。
15年以上前のことだったと思うが、京都の長岡京市にあった藤井厚二の一連の住宅のひとつが取り壊されるため、その前に内部を見学できるという誘いを受けた。播半のような規模ではないが、藤井らしい不思議な空間で、こまごまとしたアイデアが発見できて、楽しい時間であった。最後に、鍵を預かっていた東京出身のM事務所の所員が、土足で板間や畳敷きを歩き回るのを見て、憤慨した。「近日取り壊すのだからいいでしょう」と彼が言ったと思う。感傷的に言えば、土足で踏み入られたこの住宅が可愛そうだったのである。役目を終えたのだからといって、即ゴミではないだろう。いや、それにもまして、床に対しておそらく世界中で最も繊細な意識を持つ日本人の、それももっとも意識を持つはずである建築家の卵が、数十年を経た床を自分と関係のないモノとしてしか感じ取れない、その雑さ加減にあきれ果てたのである。

こんなこともあった。東京事務所時代に、四谷にオープンしたイタリアンレストランでの食事に招かれた。当時、TVに良く出ていたイタリア人シェフの経営で、四谷の古い数奇屋住宅の改装であると聞いて伺った。ゆったりした玄関に招かれ、「そのまま上がってください」という。何のことはない。板間は土足で、畳の上にはじゅうたんが敷かれ、そこも土足。ふわふわした床にテーブルと椅子。落ち着けるはずがない。気持ちが悪い。誘った本人も知らなかったようで、食事が終わった後のシェフのテーブル訪問で、味のことなどそっちのけで、気持ち悪さをぶつけたように思う。
見知らぬ住まい手の、どのようなものかもわからぬとはいえ、建築への長年の想いがあったことに対して、敬意を感じることができない人々が多すぎるのだろうか。少なくともそういう輩は、建築家にはなって欲しくない。


錦鯉の里_小千谷市