イスタンブールのイスティクラル通りから少し離れた、少し静かな街区だったと思う。ノーベル文学賞を得たオルハン・パムクの個人美術館「Museum of Innocent 無垢の美術館」。
開館時刻を待っている際に、米人の女性が 「すごく面白いのよ。昨日も来たのよ、あなたは今日が初めて?」 と、米人らしく、非常にラフに、フレンドリーに。そんな気楽な空気のただよう場所。
既存の建屋をレンガ色に塗っただけで、それだけがアイデンティティであるというような控えめさであって、言い換えれば、このことだけが、いわゆる意図として感じることであるような。ただよく見ると、窓のほとんどが封鎖されて同じレンガ色で塗られていて、どうも個人住宅ではないなにか特別な機能が収められているのでは、と感じることはできる。あからさまな明示とは言えない意匠。
ヨーロッパなら町並みの一角の集合住宅のファサードに、大きすぎない、時には小さすぎて見落とすような控えめな看板だけがあって、その入り口を入ると、住宅や小規模なオフィスを改装しただけ、けれどすごく居心地の良いギャラリー、博物館というようなのがたくさんある。
対して日本ではどうかというと、小型の美術館や博物館、記念館をしばしば尋ねるのだが、意匠が大げさだったりすることが非常に多い。なぜか、設計者がヘンに頑張ってしまったものが少なくない。
でもこの「内容」と「建築」の乖離感というか、関西弁の「はだはだ」と呼ぶそりの合わなさ、というか、たとえ個人住宅であってさえも、日本の建築界隈ではよくあるはなしで...ハコモノ
オルハン・パムクは次のように言う。
ルーブル美術館やエルミタージュ美術館のような国家規模の博物館から、小さな、より個人主義的でいわば安っぽく、大きな歴史の中にある一つ一つの物語を示す博物館へと交代することを提案し、博物館は「各個人の人間性を明かす」ために活動すべきである。
この前半は特に賛同する。既知の知見で固められた価値観、美学の範囲で図れない、個人の経験へのアプローチ...その拡がり
レンガ色一色で塗りつぶされたこの無垢の美術館の室内は、パムクの幼少期からの蒐集物で埋め尽くされていながら秩序付けされていて、パムクの少年期を描き尽くそうとするような彼の小説「イスタンブール」さながらでありました。彼のフェリーニのコンテに少し似たスケッチもなかなか上手で、説得力もあって...
だから、こんな饒舌な室内はファサードと対応してはいけないのです。いや、出来ないのです。













































