20080318

洲本AMI始まる

東京に事務所のあった頃から、かれこれ洲本との付き合いは10年以上となる。レンガ造の改修、住宅やコンバーションなどなど、数々の仕事に恵まれ、たくさんの人と知り合った。プライベートなことも話せる友人も出来て、洲本の町を歩いていると、たびたび声をかけられる。叱られることも。

東京から阪神間に戻ってもう10年、夙川を散歩するのが好きで、苦楽園に今も住み続けている。住宅を依頼してくれるクライアントには必ず、「あなたが住むのは家とそして、街ですよ。」と、老婆心を持って話す。

私自身、そんな風に生きている。たしかに誰にも邪魔されたくないプライベートな時空間は必要だが、適度な情緒的な距離感を維持できるような近隣や街に住んでいる感覚こそ大事にしたい、いや、そうでなければ住んでいられない。

夫婦と子供でワンセット、こんなアメリカ型の家族形態がいまや理想でもなんでもなく、様々なヴァリエーションの家族がそれぞれのやり方で生きている。ある人は血縁関係も超えて。ある人は、たった一人で、友人たちとの関係こそが家族であるように。

こんな話をしていたら、友人たちと終の棲家を作りたい、と言う人たちが現われた。洲本の中心市街地の利便性を優先するので、郊外のコロニーのような住宅群を作るのではない。中層の集合住宅が求められた。

当初は、有志によるコーポラティブを進める予定であったが、進めるにつれ、コーポラティブ事業そのものの難しさを知った。制度上の不合理、それに直接関係する銀行融資と租税、不動産として存在する故に発生せざるを得ない権利関係、将来の相続への波及など。それまで面識の無かった人たちが有志で行う場合のほうが、コーポラティブの事業方式にフィットするのではないだろうか、おそらく日本では。

共同の終の棲家を作ろうとそれだけを純粋に考える人たちにはやはり不向きであると思う。彼らも全く同じ印象を持ったらしく、権利云々の生臭い話はプロジェクトを前に進めるにおいてやるべきでないと判断したと思う。そこで、彼らのうちの一人が所有する敷地に、事業手法としてはいわゆる賃貸住宅を進めることとなった。

総戸数9戸の賃貸住宅と共同で利用できる屋上テラス、小屋....本来のニュアンスを表現する用語がない。事業手法の用語か、抽象的な用語しかない。

1階には、このプロジェクトに賛同する若い女性が運営するカフェが入り、もちろん、一般のお客さんに向けてのお店であるが、ここに住む住人達の時折のダイニングやリビングとなるだろう。




錦鯉の里_小千谷市