20110524

苦界浄土

震災、津波、原発損壊から2ヶ月余りが過ぎた。いろんな意味でやりきれない、行き場の無い感情が積もるばかり。そう簡単には晴れないだろう。

人間のタイムスケールを超えた災厄が巨大な規模でわれわれの世界に初めて顕現した。いや、本当はそうではなく、楽観的に過ぎたわれわれの文明はその自己の技量では制御できないほどの、想定可能であったあまりに大きなリスクを、さもまったくありえないことのように、目を、耳を閉じ、それらについて思考停止していた、そんな事実が目の前に突きつけられた。けれど、これはまったく想定できなかったことではない。われわれが本気になって検討しなかっただけだ。

雑誌atプラス08号では、磯崎氏が特集「瀕死の建築」のなかで、また再び、プロジェクト(計画)の不可能性などど語っているが、そんな美学上のロジックなどでは、今日的な、311以降の議論にまったくならない。阪神大震災の後、彼は「デコンは終わった」と語ったが、また今回も同じく、美学上の閉じられたロジック内に回収してしまって、なんら建築と社会の、今こそ求められる関係性を考察していない。ずいぶん前だが、水俣病の記念館コンペの際には、イタリア人建築家案に表現された個人的な水銀の表現を1等に引き上げた、そんな磯崎氏の今回の論考に期待をして読んだのだが。

内田樹氏は彼のブログの中で、>原子力に恐れを抱くあまり>それを単なる金儲けの道具と考えることで、その恐れを忘却しようと試みた。そして、その恐れの元を蔑んだ。要約すればこんなふうに書いている。このあとを私なりに補足すれば、>ついては自己洗脳にまで到達していた...とそんな風に考える。

タルコフスキーが「サクリファイス」「ストーカー」で執拗に描いた、核を持つことで原理的に生じる、終わりのない悲哀--このように磯崎氏は、タルコフスキーのこれらの映画を「黙示録的映画」という領域にとどめてしまって、忘却させていた、というふうに語るが、同感である。また、ソ連支配下の核は、核そのものだけではなく、当時の強権政治のメタファーとしても捉えられるだろう。

黙示録的とは、起こりえるが、今は起こりえない、いつかは起こるだろうが、今ではないだろう...そんな感じなのだろうか。モダニズムの快楽は黙示録を異次元の世界へ追い込んで、どこか別の世界のことのように見せかけるほどのパワーを持っていたのだろう。これでは自己完結を促す単なる宗教ではないか。

水俣病を描いた、石牟田礼子氏の「苦界浄土」。何度も読みきろうと努力するが、いまだに読みきれていない。永遠に続くかのような悲哀を、澄み切った文体で描く石牟田氏のこの空間を今度こそ読みきろうと思う。






錦鯉の里_小千谷市