琴電の高松築港駅。プラットフォームに接した高松城の堀に真鯛がのんびりと泳ぐ。めずらしい。はじめてみた時はチヌかと思ったが、良く見ると真鯛。
駅員さんに聞けば、ずいぶん昔からだと言う。
写真は昨年末。
先週は近くに重機が入っていたせいか、見当たらなかった。
琴電の高松築港駅。プラットフォームに接した高松城の堀に真鯛がのんびりと泳ぐ。めずらしい。はじめてみた時はチヌかと思ったが、良く見ると真鯛。
駅員さんに聞けば、ずいぶん昔からだと言う。
写真は昨年末。
先週は近くに重機が入っていたせいか、見当たらなかった。
私の仕事場では、以前はLANDISK、今はNSD(network Attached Storage)と呼ばれるLAN上のHDDを設けている。サーバーを置いて共有のCADデータを逐次数人で更新する必要性や迅速性への求めは感じないし、何よりも個々のCADデータに誰が責任を持つかをあいまいにするやり方を禁止している。だから、NSDはただただ、データバックアップ用の小さな1メディアとして使うのみである。
とはいえ、数年前から使用するNSDの残り容量が30%を切る状況なのでNSDのデフラグが必要だと素人ながら思い調べたところ、NSDはLINUXをOSにしているのでWindowsのようなデフラグは必要がないのだと初めて知った。
WindowsはLinuxとは異なりHDD上にデータを接近させて格納するため、後日データの一部分が変更されて大きくなり過ぎた場合を想定して、あとで変更されたデータはいったんHDD上の離れたところに格納する。そのため、HDD上のデータを効率よく(より早く)アクセスするために一連のデータ群をHDD上の近い場所に再配置するのがデフラグと言う工程らしい。それに比べLinuxは余裕をもってデ-タ配置を行うため、デフラグする必要が一般的には無いと聞いた。専門ではないのでこれ以上の説明は出来ないが。
さらにまた、多様な要求を持つプログラマーが各々によってソースを書き換えられるフレキシビリティを付与するいわゆるオープンソースとしてのLINUXには、書き換えのたびにHDD上でのデフラグを必要とするような混み合ったデータ配置が求められていない。
HDDの容量単価が今とは比較にならないほど高価だった時代にはWindowsのようなHDD上にデータを接近して配置することはHDD上のリソース消費を節約するという意味においてコスト/合理性からすれば妥当だったらしい。
つまり、ハードウェアのリソースが桁違いに大きくなって、新しい可能性を持ったLinuxというオープンなプラットフォームが顕現した、と言えるだろう。
ハッカーと画家のなかにこのような1節がある。
「100年後の物理学は必然的にはほとんど予測不可能だが、100年後のユーザを惹きつける言語を現在設計することは、原理的に可能だと・・・・考える。・・・・ハードウエアがあるかないかということを考えずに、こういうプログラムが書きたいんだ、というプログラムを書いてみることだ。100年後ではなく現在でも、無制限の容量を想像することは出来るはずだ。」
物理的な技術革新がそのフィールドのクリエイティビティを根本から前進させると真摯に考えられる、そのようなフィールドであると信じられる。こんな言葉を聞いてすばらしいフィールドだと思う。Google社で話題に上がった本であるのは頷ける。
コンピューターアーキテクチャという用語が生まれ、Architectureは出自から離れて、別のフィールドにて開花した。100年後、Architectureはその出自を消してIT用語になるのだろうか?そんな事態を考慮せずに建築家は100年後の建築フィールドのArchitectureを考えられないのかも知れまい。
シックハウスや排煙窓、開発指導要項や適合性判定、建設国債や国交省共通仕様書、こんなものにわずらわされて1日のほとんどが費やされる設計業務なるものに付き合わされて、どこに建築の将来を考えられる時間があるのだろう。自省。