ヘルシンキ中央駅から西、鉄道で30分くらい。Hvittraskへ向かう。
サーリネン父が若き頃、ほか2名の建築家とアトリエを構え、住んだところ。Vittraskとは古いフィンランド語で「白い湖」という意味らしい。ロケーションは静かな湖のそば、まあ素晴らしいところ。
外観も内装は特に、マッキントッシュの影響大か?竣工時期がほぼ同じ(1903年)。プランニングには格段驚くところ無く、モダニズム以降の空間は無い。日本の大正期の財閥の別邸を見た感じ。数ある暖炉の意匠は面白いが、まあそこまで。意匠の工芸的な美しさは日本の方が見応えあり。藤井厚ニに似ている、素人っぽい。これだけ大きな建築家自身のアトリエを構えられたのに、新しい試みはどこなのだろう。
アーツアンドクラフツが皇帝や王のためのデザインではなく、市井のためのそれの運動であったことはよく理解できるが、細かなディテールが私には雑過ぎて、今であればvintageものかもしれないけれど。
いやそうではなく、民主的な街場で作られること、維持できることが大事なのかなぁと考えてしまう。いわゆる北欧デザインの多くが今、大量生産を基本としたリビングデザイン/サスティナブルなものとして考えられている素地、身の丈に合ったデザインはここにあるのかな、とも考える。けれど、このアトリエには何か淀んだものを感じてしまいます、旧ワークショップ以外は。
ヘルシンキの海沿いの工場。予備知識まったく無く、遠方から望み、きっちりと設計されたものと感じた。後日、ヘルシンキの建築美術館で1枚のパネルで紹介されていた。工業がその国の国力を象徴する、故にその景観もしっかりしたものでなければならない、という風に、そのパネルの前で示唆された。いや、日本も昔はそうでした、建築家の地位と責任は昔はもっと高かったと思い返す。自省。