20130830

2013 Hvittrask_Helsinki



ヘルシンキ中央駅から西、鉄道で30分くらい。Hvittraskへ向かう。

サーリネン父が若き頃、ほか2名の建築家とアトリエを構え、住んだところ。Vittraskとは古いフィンランド語で「白い湖」という意味らしい。ロケーションは静かな湖のそば、まあ素晴らしいところ。






外観も内装は特に、マッキントッシュの影響大か?竣工時期がほぼ同じ(1903年)。プランニングには格段驚くところ無く、モダニズム以降の空間は無い。日本の大正期の財閥の別邸を見た感じ。数ある暖炉の意匠は面白いが、まあそこまで。意匠の工芸的な美しさは日本の方が見応えあり。藤井厚ニに似ている、素人っぽい。これだけ大きな建築家自身のアトリエを構えられたのに、新しい試みはどこなのだろう。




アーツアンドクラフツが皇帝や王のためのデザインではなく、市井のためのそれの運動であったことはよく理解できるが、細かなディテールが私には雑過ぎて、今であればvintageものかもしれないけれど。
いやそうではなく、民主的な街場で作られること、維持できることが大事なのかなぁと考えてしまう。いわゆる北欧デザインの多くが今、大量生産を基本としたリビングデザイン/サスティナブルなものとして考えられている素地、身の丈に合ったデザインはここにあるのかな、とも考える。けれど、このアトリエには何か淀んだものを感じてしまいます、旧ワークショップ以外は。


ヘルシンキの海沿いの工場。予備知識まったく無く、遠方から望み、きっちりと設計されたものと感じた。後日、ヘルシンキの建築美術館で1枚のパネルで紹介されていた。工業がその国の国力を象徴する、故にその景観もしっかりしたものでなければならない、という風に、そのパネルの前で示唆された。いや、日本も昔はそうでした、建築家の地位と責任は昔はもっと高かったと思い返す。自省。


20130827

2013 Helsinki



ヘルシンキのウスペンスキー大聖堂。8月の初旬、夜10時ごろ。

日が沈むころ、太陽高度の低い西陽にファサードともども、このロシア正教会の尖塔の頂部が黄金色に輝いている。本当に美しい。昼間には過剰な黄金色、下品な(失礼)装飾に見えるのだが、この時期の西陽に照らされている姿が本来の意図ではないかと思う。この写真では伝えきれていないが、頂部にこの黄金色の化粧ドームが載せられている意味が良くわかった。帝政ロシア期の数多くのファサードに黄金色の装飾が付くのは、短い夏の西陽に照らされるファサードの美しさを求めたのではないかとさえ考える。このヘルシンキのウスペンスキー大聖堂は東欧にいくつかある正教会orthodox churchとは異なり、レンガ造をファサードにあらわした大聖堂である。その理由がなぜかは知らない。ただ、建立が19世紀であることを考えると、当時の大英帝国の様式/流行の影響かとも思う。




事実、この周辺には、修復、保存、維持も行き届いた多くのレンガ造の建物が今も立派にあり、当時の貿易、経済のエネルギーを引き受けた場所であったことがよくわかる。教会といえども一種の文化移入であり、ことさら本国の意匠を引き受けるほどの帰依がなかったのだろう、と考える。強大なロシア帝国の隣国として長い間ふんばったフィンランドの歴史をもう少し知りたいと思う。

足元の数層のレンガ造建物は往年は商館や倉庫として使われたのだろうか、今はハーバー前のウォーターフロント空間として、いくつかのカフェやレストランとして使われていた。




ヘルシンキ市内の建築美術館向かいの倉庫。その美術館の館員に用途を聞いても、あまりわからず。館員はこの建築をgothic styleと呼んでいた。この呼称もイギリス的と思う。道路側に格好のいいキャノピーを増築し、今も稼動している模様。この附近にもいくつかのレンガ造建物が立派に機能している。



ヘルシンキ東の港近くの市場。市場のことをMarket Placeとフィンランドの人は愛情込めて呼ぶらしい。現在は近隣の大きなゾーンが市場、流通地区として再開発され、この建物は大きな機能を担っていない。これも同じく、レンガ造建物。教会や数層の公的な建物というビルディングタイプに当てはまらず、バンハムの第一機械時代に要請された新しいビルディングタイプ(機能-形態関係)である。建物のヴォリュームバランスが非常にいい。ベルリンのメンデルゾーンの映画館を思い出し、少しドイツっぽいなと感じた次第。


宿のすぐ近くにあったヘルシンキ大聖堂の夜景。きれいだけれど、まったく興味が沸かず。

錦鯉の里_小千谷市