パリからTGVに乗れば、すぐに田園風景が現われ、パリがフランスの中の特別な都市であることが、あるいは正しく中央集権国家であることが、ことさら強調されているかのように感じる。新幹線の車窓の風景とはまったく異なり、人家が延々と続くこともなく、けばけばしい看板も、夜間にサーチライトを上空に向けるパチンコ屋も無い。田園地帯では、フランスの誇る、どこまでも奥へ先へ次へと、フランスお特異の洗練が施され続ける世界中が愛する農産物、ワイン、チーズなどなど--幾多の国々に輸出できる農産物の価値はここで造り出されたのだと感じる。
ある地方の農産物を国際的な評価を受ける程に造り上げた、フランス人の嗜好とアイデアは素晴らしいものであろうし、それゆえに、植民地で施されるプランテーションとはまったく異なる、生態系とバランスの取れた農業が行われ続けているに違いないと、風景の美しさも手伝ってか、そのように勝手に思い込んでいた。
しかし、実はそうではなく、日本と同じく、肥料による土壌汚染や劣化、農薬過剰に深刻だと知ったのは、下のジョゼボヴェのインタビュー本であった。
様々な試験やシミュレーションを猛烈なスピードで繰り返すことの出来る工業と違って、農業においては、ある作物が1年に1度しか収穫できないのなら、その製品は1年に1度しか改良できず、古来からの農業の変革スピードと工業のそれが著しく乖離し、品種改良やはたまた遺伝子改良においては、想像を超えた工業化が進んでいると言う。プランテーションの現代版そのものであると言う。
日本の食料自給率はカロリーベースで40%程度しかなく、先進国中飛びぬけて低い。食糧安全保障などという敵対的な考え方をするまでもなく、異常な食料輸入を前提とした食生活、ライフスタイルに危機感を覚えるのは私だけではないだろう。そのうえ、食料輸出国の事情が、アメリカやブラジルなどの作付け面積の巨大なプランテーション農業の劣化はさておいたとしても、フランスのような自国の嗜好を国際的な価値付けが出来た国でさえ、日本と同じ問題を抱えているとなると、もう施しようのないことなのかと落胆してしまう。
ところが、自国の風土に合わせた地産地消を見事に実現している国があるらしい。それも大都市ハバナで。キューバの有機農業については、次回。