Jacques Attaliの「21世紀の歴史」を読む。彼の早期の「ノイズ-音楽・貨幣・雑音」を読んで以来。アメリカからの金融恐慌をいち早く予言したとされ、NHKで彼のロングインタビューを見たのは、もうそろそろ半年前かと思う。
この著作には少々の疑問符はあるが、とにかく共感できるところ数多く、日本で失われた90年代と呼ばれるころから悶々としていた、私自身の歴史観や都市観の陥没部分を埋めてくれて、なぜもっと早く気づけなかったのかと自省し、やっぱり間違っていなかったな、と回顧した。
沢田研二が「トキオは空を飛ぶ」と歌い、糸井重里は「不思議大好き」とコピーをうち、大晦日に全民放がNHK製作の「行く年くる年」を同時に流すのが終わった1980年代、バブルエコノミーの中盤から東京で仕事についた。
東京がその一部を日本という呪縛から切り離し、日本の首都から全世界のいくつかの主要都市、London、Paris、NYのような国際都市へ変わりつつあるのを実感した。大阪生まれの私にとって、大阪の地盤沈下を憂うマスコミは何も解かっていないと当時から感じていた。国際都市は経済のみならず、その文明力、文化力、その寛容さ、自由さ、活発な人の移動が無ければ、国際都市とは位置づけられないと思う。その意味で、現在成長の著しいムンバイや上海は、東京以上の人を魅きつける国際都市には当分なれない、そう断言する。
けれど、ブールージュやボストン、近年のLAなど、世界首都の歴史を書き綴ったアタリ氏によれば、当時の東京は日本の首都として経済力と技術力を併せ持ちながら、1.政治の未来への志向性の欠如、2.移民受け入れなどの自由な人間活動に対する許容力の無さ、3.Creativity..アートだけではない創造力への投資、価値付けの失敗、この3点を持って、さらなるアップグレードの可能性、つまり、東京が世界首都になる可能性を失ったと語る。同感である。
マイクロソフト、アップル、インテルなどのグローバルIT企業は、80年代にどんな規模の企業だったろうか。こんな急成長をした企業が、それも新興国でないアメリカで成長を遂げたことと比べ、バブル以降の日本にどんな企業が急成長できたか?
数ヶ月前、アタリ氏が政策アドバイスするサルコジ大統領が、GranParis計画を発表したという。Paris市域を積極的に拡大し、ロンドン、東京、NYのような、経済力と文化力を兼ね備えた次代のメトロポリスに転換させるという。EUの中心を目指すのだろう。
全世界から人を魅きつける、文化の厚みをもった日本が、どうしてこんな極東の矮小国になったのか、いくら後悔しても、し足りない。
