山崎さんのスピード感のあるプレゼンテーションは魅力ありますが、手放しで褒め上げるものでしょうか?すべての道路を未来に向けて、より利用しやすいような再インフラ化を促すことには大賛成ですが、全国津々浦々の幹線道路沿いに拡がる全国ネットの店舗や2番煎じ、コンビニ化した安物の景観しか作れていない我々が、どのような根本的な変化を生み出せるのか、解かりません。街も景観も人が作るものです。さらなる利便性がもたらす時空間がどのようなものであり、それがどのように人の内面を変えていくのか、解かりません。ここをおざなりにすると、LA近郊と変わらないことになりはしませんか?きれいに描きすぎのシナリオと感じました。
また、フランスのオーベルジュは年間休暇が習慣化しているフランス特有な労働環境あってのものですし、現在多くは陳腐化しています。都市と農村、郊外との関係は、交通インフラの利便性だけで整理、再構築できるものではないと思います。
中央集権的ではない、群島(アーキペラーゴ)的な国土のあり方、それが引き寄せる人心などについては、すでに建築-都市論、交通論、インフラ論の分野ではまっさらな理論ではありません。
ある目標を志向し、膨大な各研究を横断的に扱える立場が存在しなかったことが、この国の残念なところだったと理解しますが、安易な横断化、シナリオ化には少々疑問を感じます。
スペインやオーストラリアに引退後移住する人は、九州をフロリダ化すれば行かなくなるだろうとは、少々乱暴でしょう。アメリカの、日本とは異なるさっぱりした家族関係があるからこそ、フロリダがあるのではないでしょうか。海外に引退後移住する人は血縁関係を疎遠にすることになっても海外へ移住したい各々の理由があるでしょう。仮に、ある歴史を認識できる国、街だとしても、そこに対する事前の関わりがなければ、その人にとって、にわか作りの田園、郊外と変わらないものになるのだと考えます。高速道路のより利用しやすい再インフラ化は、都市と地方のお互いの心的、情緒的関係を変化させ、また新たに作り出すことになるでしょうし、まずはそこから始まると考えるべきだと思います。地方の再コンビニ化ではなく。
太陽経済への移行への技術的方法論はすでにあるのでしょう。けれど、日本の技術をどのように外貨化するかにとどまったように見える山崎さんのコメントは物足りませんでした。経済的に恵まれ、精緻な技術力を持つ日本こそが、このような新しい文明形態をシミュレートし、世界中にそれを視覚化する、日本こそが可能な新しいリーダーシップの取り方、先進国の義務だと思うのですが。