Jポップの歌い手でも今はアーティストと呼ぶらしい。いまに吉本の芸人もアーティストと呼ばれるのだろう。今日の疲れへのリフレッシュ、それ以上でも以下でもないなら、artと呼ぶ必要は無いだろう。
それを経験したことで、自分の意識の一部のバイアスが取れて、違う世界の一片をみてしまった、もう後には戻れない、そんな経験を引き起こす媒体をartだと呼ぼうと思っている。ハイアートであろうと、サブカルチャーであろうと、自然現象であろうと。その時々に、私にとって。
最初に見たのは、私の東京在住最後の年、1986年の大規模なロスコ展であった。「シーグラム絵画」のいくつかを見たと思う。比較的明るめの展示室だったと思う。ロスコ作品のその大きさか、その鉄色か..何が引き起こすのかわからないが、私の意識の中にこの作品群を受け入れることのできる素地があったのか、心の奥底にこんな洞窟があったのか、そんな感じだった。
昨年末、機会あって千葉、佐倉市の川村記念美術館を訪ね、久しぶりにロスコを目にした。やはり、十数年前と同じ。違う世界への門、窓、扉と言う人は多いし、確かにそうなのだが。
得体の知れないものへ開かれる恐怖、そんな感じ。封印された何かが詰まった箱、それを手にした時の恐怖。いまだ命名されていない何かへの恐怖。わたしはそう感じる。
そこにはそれがないが、それがどこかに絶対に在ることを示している、だから、徴である。

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