20100310

再録 けだるい夢幻(20060830)


機会あって岐阜県各務原市の瞑想の森斎場を見ることとなった。3次元トラスウォールというのだろうか、いわゆる無柱空間に近いのだが、入れ子になった空間や間仕切り壁が多く、予想していたよりも大空間としての拡がりは感じない。

現代ではじめて可能となったコンピュータの圧倒的な計算能力による構造的な緊張感や張りがどんな風に出ているののだろうと期待を持って入ったのだが、旧来のmodern architectureの緊張感は現れておらず、屋内側の丁寧な白い吹き付けのためか、目の前にあるのに目の前にあると感じられない不思議な非現実感を感じた。表参道のtodsビルと同様、この意味で、極めて伊東的といえるのかもしれない。しかし一方で、グロッタのような、ペルツィッヒのような、けだるい夢幻を感じたのも事実である。

>>>チベット人の書いた寺院建築の理論書を読むと、寺院という建物がさしたる根拠もなく選ばれた自然数「四」をもとに構築され、そのため自然ないし大地という多様性に対してそれが本質的な異和性をもっているということを、彼らがはっきりと意識していたことがわかる。大地には、巨大な多様体を表象する「蛇」の女神が住んでいる。人はその上に、自然数「四」を基本にした形式的人工物を建てるわけだ。そこで人は、多様体なる「蛇」の上に建物を築くという人の営みの無根拠性、恣意性をはじめから意識していなければならない。(中沢新一:チベットのモーツァルト)

チベットに戻れ、などと還元主義を煽るのでは決してない。ミニマルこそ、などと言いたくない。けれど、人間には手を出してはいけない表現の領域があるのではないかと示唆するこの建築論にはうなずくことが多い。


0 件のコメント:

錦鯉の里_小千谷市