仕事とプライヴェートを含めてもう20回以上は訪れている沖縄。私自身、特別な感情をもっている場所である。
「これが沖縄の生きる道」を読む。
前半。
沖縄の状況分析は、ああやはりそうなんだ、と感じ入るところ多い。
自身の経験でも、那覇の裏通りで地元人と話したり、目取真俊の「虹の鳥」や大城 立裕の「恋を売る家」を読んだりすると、一筋縄ではいかない沖縄の政治的複雑さ、ひいては日本という国の同じそれを感じざるを得ない。中上健次は同様のものを新宮の路地から見たのではなかったか?
後半。
国際通りの景観の陳腐さを各地権者間の意思統一や協議が無いから、不統一で陳腐であって、とある。どうだろうか?不統一で陳腐であることは、そんなに沖縄に不似合いだろうか?
クラブメッドは要らない、とすれば、その処方箋は統一感ある沖縄的景観?
いくら表面を統一させたとしても、観光客向けの観光地としての景観なのだから、一種のフェイクであることだろう。
今年のプラハで感じたように、世界中の観光客へ媚びへつらった、いわゆる景観のディズニーランド化は仮に商業的な成功を伴ったとしても、それはプラハの必然的結果なのだろうか?違うと思う。