インバウンドやら、何とか映えとか、もうちょっと静かに旅させてくれよ、と思うばかりの今日この頃。たとえ静かに巡りたいところであっても、TVや雑誌やwebで一度紹介されれば、瞬く間にお客さんであふれ、交通も宿もひっ迫し、価格も高騰。
20代のころ、南仏のサントロペが、かのパリ人の間での人気に火がついて、静かな休息を望む人々が滞在先から外したと聞いたのだが、昨今は似たようなことがもう世界中で起こっている。
石垣島には随分ご無沙汰しているのもそんな理由からなのだが、その当地の知り合いにこんなふうに言われたことがある。「鳥取って砂丘以外に観るもんあるの?」。いや、ね、大してないから人気ないし、だから静かだし、時々行きたくなるんです、冬にはヒラメを食べに行くんです、と答えた。
鳥取の中心市街地はその他の地方都市同様、いわゆる歯抜け状態で、年季の入った建物とバブッた時期の建物が混在している。そんな街区をゆっくり歩きながらその様相や込み入っているであろう隣接地との関係などを観察しながら、その建物のプロファイルというんでしょうか、履歴というんでしょうか、そんなものを想像してみるのは、酒の肴にちょうどいい。何かの結論を付けることなどせず、ほろ酔いアタマでぼやっと考えるのが楽しいのです。
この建物は、どうしてここまでトタンの波板で補修し続けてるのだろうか?ずいぶん錆びついた真っ茶色の部分とそれより新しいけれど数十年は経ってる部分がある、その他いろいろもあって、ということは、もう昭和から平成にかけて、何度も修繕し続けてるに違いない。下から波板を挿し入れて、補修したのだろうな。また、軽自動車が停まっているところ、つまりこの建物の後ろ半分には昔日、片流れ屋根の小さな建物がくっついていたのではなかろうか?
よう知らんけど。
補修のその手直しの技術や精度は、「漏れなきゃええ」程度の決して頑張ったものではないが、建物そのものが「俺はここにおるぞ」と強弁しているように感じられて、「でもあんた、満身創痍じゃん」と返しつつ、立ち止まって写真を撮ってしまう。
そして次は横綱級。
鳥取駅から少し離れた川沿いの、かつては街工場が勢いあったような地区。この3枚の画像は同じ建物であるのだが、この迫力はすごい。
アブストラクト彫刻のようなヴォリューム構成、それらの壁面はそれぞれテクスチャ感満載、もうプロファイリングなんて出来そうもないくらいの複雑さ、なんでこんな風にデッコンンボッコンになったの??昔は隣にどんな建物がくっついてたの?
いやはや、面白い。
こんな鳥取の「詠み人しらず」に大きく拍手。