20091008

Mark Bolan の20th Century

 

マークボランが好きで、今も良く聞く。iPodには、彼の曲がいっぱい。

建築歴史の理論では、modernという概念(?)は重要で、今も続いているから、あるいはそこから切れていないから定義できないという、これが研究者からした一般意見だろう。

ポストモダン、レイトモダン、ハイパーモダン、さらにスーパーフラットといったところで、modernが引き起こした怒涛のようなmovement(建築歴史家はこれを能動的な運動と翻訳するからおかしくなる、いわばどうしたって巻き込まれるものだ。)は人類のDNAに記憶されるものであって、何かが終わったからmodernが終わったというものでは決しててない。様式論ではないのですよ。

日本が終戦後、なぜあの戦争に突っ込んだか、なぜ敗戦したかの総括が無かったように、ベルリンの壁が無くなって冷戦が終わったと言われ、資本主義がなぜ勝った(???)の総括が無く、今の底の抜けた状況になってもいまだ総括は必要ないらしい。日本のバブル期に浅田彰が言ったように、世界が日本のように幼児化すると予言したまま。絆創膏を貼るしか手が無いみたい。

さて、久しぶりにTVを見たら、TRexの20thCenturyBoyが流れている。TVに振り返ったら映画「20世紀少年」のPRであった。TRexの曲名ままじゃないか。

20世紀に子供時代を送った友人グループが幼心に想像したおふざけが、時を経て現実化するシナリオらしい。

MarcBolanがバイク事故でポチッと逝ってしまったことを思い出す。20世紀少年は長生きしてはいけないのだろう。





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