
ヘルシンキのアセニウムにて、この絵に出会う。
少女の天使と二人の少年。天使は何かにたいそう傷つき、自分の体の重みにも苦痛を感じているかのようだ。少年は天使に何が起こったのかも知らず、慰めの言葉も見つからず、けれど、天使をどこか安全な場所へ連れていこうとしている。少年たちは彼等のよく知る場所しか思い浮かばず、きっとそこへ連れていくのだろう。けれど天使がそこで癒されるかどうか、自信が無い、そんな躊躇する気持ちを抱えながら。
そこで、天使は果たして安堵するのだろうか?
象徴派と呼ばれるHugo Symbergの作品と聞いた。作者は観る者による異なるこの絵の解釈を望み、自分からはあまり発言しなかったらしい。
ヘルシンキに住むフィンランドの人によると、幼稚園のテキストにも出てくるらしい。言葉にならない思索を無理に言葉にしない、その意味でSymbergは極めてフィンランド的だと言っていた。
ああなるほど、フィンランドのnational pictureに選ばれた意味が解かった。