昨秋、機会があって鎌倉へ出向いた。東京に10年以上住みながらあまり訪ねる機会が無かった。東京の友人と久しぶりに会おうと思い立ち出かけた。東京に住んでいたころの私にはあまり鎌倉に縁が無かったのだが、実は血縁関係からすると神奈川、特に逗子、鎌倉には深い縁がある。私の3代前はあのあたりで土建会社をしていたらしく、近代以降の新しい隧道の多くを手がけていて、仕事のテリトリーは下田まであったと聞いた。
さて、鈴木清順監督のツィゴイネルワイゼンが好きで、月に一度くらいはDVDを眺めている。あの世とこの世の境い目としてでてくる隧道、釈迦堂の切通しを見たくて、まだ残暑残る鎌倉を歩いた。崩落の危険性があるのだろう、一応は通行禁止と立て札は出てはいるが、通り抜けられる。
夢と現実の境をなくしたような、奇妙な二人の男と一人の女の物語。この切通しの先には、片方の男の家がある設定でツィゴイネルワイゼンの中では、特に重要な場面にここが写される。
京都、奈良に幼いころから親しんでいた私にとって、京都、奈良は気分の落ち着くゆったりとした場所ではあるが、やはり宮廷文化、公家文化であり、今で言えばハイアートの世界である。その上、観光客は世界中から集まり、ちっぽけな祠にさえちゃんと手がかけられて、メンテされている。
比べて、一方、鎌倉は、なるほどクールジャパンのトレンドも手伝ってか、以前よりも観光化されてはいるが、京都、奈良の比ではない。明日倒れそうな地蔵を見かけたりする。まあ、文化庁の予算もまったく違うのだろう。さらに、住宅地が、この釈迦堂の切通し間際まで迫っている。
けれど、そうであるが故に余計に、今現在と500年前が居心地悪く隣り合っているような気がして、なんかの拍子に向こうへ、つつつっと、つながるような気さえした。
切通しや岩山の切り崩しを多く見ていると、これらのどれほどが自然の要衝として鎌倉を選んだ武士たちの成したものなのかはわからないが、彼らの切迫した気迫を感じた。過去の政体にはなんの由来もない政府を作り上げること、おそらくは古来からの占部に耳を傾けたかもしれないし、おだやかな弥生を通り越して、縄文の声を聞いたかもしれない。白井晟一が”縄文的なるもの”で絶賛した、韮山の江川邸を見たときのように古代につながる場所だった、私にとっては。
この切通しを抜けて、少し休憩していると、湿気と暑さでまるで夏なのに、私の吐く息が白く曇った、冬のように。ああ、彼らが来たな、と思った。
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