20061115

エンドレスサマー2

 


"WHAT IS OMA-レム・コールハウスとOMAについての考察"のなかで、レムが「この地球における文化を巨大な波にたとえ、それに対する建築上の戦略として、波頭に乗るサーファーのイメージを提出した」とある。このエッセイの書き手はこのあと、このレムの物言いをグローバリズムへの無批判として痛烈に批判していくのだが、まあそれはそうとしても、本当にそんな風に無邪気に楽しめているのだろうか。

サーファーの友人から薦められて、エンドレスサマー2を観た。前作を含めてサーファーにとっては、あまりにも有名な映画だそうだ。ハワイやバリなどの素人でも想像できるサーフィンのメッカだけでなく、アラスカや南アフリカ、フランス西海岸などなど、ただただ乗って楽しい波を求めて、人がほとんど立ち入らない場所でも臆することなく、波の乗って楽しむことだけを求めて、世界を旅するサーファーコンビの珍道中は、カメラもすごい人なのだろう、その彼らの無邪気な心持と楽しさを十分に伝えてくれる。

正確にはロードムービーにはあたらないのかもしれないが、私はあえて最良のロードムービーのひとつと考えたい。


2つの透明性/STAH

 


いっとき(今もか?)、建築のファサードはダブルスキンばやりで、昨年末のベルリンでも至るところでみかけた。日本のダブルスキンがまずは建築単体のファサードの取り扱いに終始するのに比べ、ベルリンでは多くは旧東ベルリン地区の建築物のコンバーションにも用いられ、建築へ入力する日光や寒気の調節に、あるいは左右の建物とのファサードのリズムあわせなど、機能上の大儀があるように思う。大儀が有るから良し、というわけではないが、どうも日本でみるダブルスキンはだぶついた目くらましに見えてしまう。

私は、上の写真(「現代建築の構造と表現」所収)のさわやかな透明性に魅かれる。縦軸回転窓がガラスの壁に取り付き、不可視の壁が取り払われて「すがすがしくなりました」と言いたげな作者の顔が見えて、デザインの目標とその解決が理念上ぴったりと一致した穏やかな時代の意地の張らないデザインと見受ける。
さて、SSG工法やストラクチャーシール工法など、ガラス面を徹底的に平滑に作り上げる技術が拡がった現代は、薄くなるものは徹底的に薄く、細くできるものは徹底的に細く、そのうえ、コンピューターの演算能力の進歩からか、主構造体と副構造体のヒエラルキーは確固としたものではなくなり、サッシュのマリオン寸法のディメンションで悠々と建築物を支えられることも場合によっては可能となった。単なる物理的な透明性の獲得は、この数十年で飛躍的に上がったといえる。
再び上の写真について考えてみると、もし、この縦軸回転の窓がその窓枠とともに見付寸法(正面の寸法)を2倍にしたらどう見えるのだろうか?窓枠が目立ち、そこに余分な故意が見受けられるのではないか。あるいは、見付寸法を現代の日本の製品精度、施工精度にて徹底的に小さくすればどう見えるのだろうか?あまたあるカーテンウォール(CW)のオフィスビルとなんら変わらず、水平区画を表わす帯状の不透視のCWとガラスのCWのストライプ状のファサード構成に堕ちていくのではないかと思う。そして結論めくが、この写真のCWの透明性は、物理的な透明性だけでなく、実は非常に先進的な透明性を持っていると私は感じるのである。

コーリンロウの論文「透明性-虚と実」(「マニエリスムと近代建築」所収)には、以下の様にある。

---モホリは彼独自の外部の空間へと窓を開け放ったように見えるのだが、レジェの方はほとんど二次元の枠の中で創作を続けながら極めて明快な「陰」と「陽」の形態を作り上げている。このように枠をはめることにより、レジェの絵には両義的な奥行きが生まれ、モホリがジョイスの文章の中に見いだした虚の透明性が生まれているのである。---

このコーリンロウの用いたtransparantには最適な訳語はなく、本論においても訳書においても「透明性」があてがわれているが、transparantには、"物理的な透明さ"という意味の上に、"簡単に判別できる""明白な"という意味も同時に付与される。よって、虚の透明性とは、物理的な透明性のことではなく、彼の言葉を借りれば二次元平面の絵画に、透視図法によってではなく、三次元の存在を暗示することである。さらにロウは建築が三次元を相手にするものであるから、虚の透明性の実現は難しく、「一般に批評家は建築における透明性をもっぱら素材の透明性と結び付けたがる傾向にあった」と述べる。

もう一度、上の写真に戻る。作者はたしかに実の透明性のみを追いかけたのであろうが、窓枠や回転部分の枠見込寸法が現在の日常の寸法に近いゆえに、偶然にも虚の透明性を獲得したかに思う。窓や枠の形態やプロポーションの、日常に見受けられるそれらとの差異を意識することで、水平区画の帯状の不透視の壁の存在もあいまって、このファサード全体が、壁であるようで壁でない、そんな不思議なファサードに見えるのである。もちろんこれは、作者の意図ではないだろうが。



こんなことを考えながら、STAHが先月竣工した。既存母屋に寄り添うアトリエであり、建物の周囲は鑑賞する庭というよりも、家庭菜園のような身近な生活に密接な屋外空間である。既存母屋部分と同じRC構造躯体を用いて、2重の透明性をどのように獲得するかに重点を置いた。RC躯体の形態とプロポーションの操作によって、RC躯体でゆるやかに境界付けられていることを感じると同時に、庭にも囲まれていると感じられるような空間を作り上げたかった。


ADE

 

ローマのポポロ広場には双子の教会があると教えられたのは、大学時代のゼミであって、亡くなった毛綱さんが在籍した研究室の助手であった頃によく話していたと聞いた。建築の記念性に心を入れた人であったから当然だと思う。いつかは、シンメトリーの双子の建築を物にしたいと思う。この双子の容貌はある1点を除いて完璧にシンメトリーであって、心ある人がそのある1点を感得した瞬間に、日常的な世界認識がゆっくりと滑り出していくような、そんなパワフルな建築を作ってみたい。なんて、夢想する。




このADEは、そんな気持ちを少しは込めてみようと取り組んだ。容貌は違うけれど、いくつかの空間の暗示を見せようと試みた。外観は、敷地の北側の山の姿のようなシルエットを持つメインヴォリュームに、玄関部分の白いフレーム状のヴォリュームを膠着させ、膠着した部分を明らかにせず、後のヴォリュームの一部分が前のメインヴォリュームにどこまで飲み込まれたかを見わけられないように作ってみた。

内部は外観とはまったく別で、いくつかの空間が、棟直下の天井の折上げ部分を境にしてそこから、ある空間は発散し、ある空間は収束していく。特に、逆パースとなる階段はメインヴォリュームに対して入れ子構造をとりながら、収束する空間への導入部分となり、階段を上がった先にはほの暗い中に鏡張りの扉があって、収束する空間が実は導入部分しかここにないことを暗示している。で、こんな説明に何の意味があるのか、と言われるのだろうが、いい空間になったと思っている。








20061027

播半




事務所に程近い甲陽園の老舗料亭旅館「播半」は昨年から休業となり(実質は廃業)、大規模な開発計画が提出されていると聞いたのは1年も前のことだったように思う。谷崎の細雪に登場したり、先の天皇が宿泊されたほどの料亭であった。今日の新聞には、近日の取り壊しが決まり、 播半の元所有者のコメントとして、開発業者が室内を土足で歩き回る姿をみて悲しくなった、とあった。
15年以上前のことだったと思うが、京都の長岡京市にあった藤井厚二の一連の住宅のひとつが取り壊されるため、その前に内部を見学できるという誘いを受けた。播半のような規模ではないが、藤井らしい不思議な空間で、こまごまとしたアイデアが発見できて、楽しい時間であった。最後に、鍵を預かっていた東京出身のM事務所の所員が、土足で板間や畳敷きを歩き回るのを見て、憤慨した。「近日取り壊すのだからいいでしょう」と彼が言ったと思う。感傷的に言えば、土足で踏み入られたこの住宅が可愛そうだったのである。役目を終えたのだからといって、即ゴミではないだろう。いや、それにもまして、床に対しておそらく世界中で最も繊細な意識を持つ日本人の、それももっとも意識を持つはずである建築家の卵が、数十年を経た床を自分と関係のないモノとしてしか感じ取れない、その雑さ加減にあきれ果てたのである。

こんなこともあった。東京事務所時代に、四谷にオープンしたイタリアンレストランでの食事に招かれた。当時、TVに良く出ていたイタリア人シェフの経営で、四谷の古い数奇屋住宅の改装であると聞いて伺った。ゆったりした玄関に招かれ、「そのまま上がってください」という。何のことはない。板間は土足で、畳の上にはじゅうたんが敷かれ、そこも土足。ふわふわした床にテーブルと椅子。落ち着けるはずがない。気持ちが悪い。誘った本人も知らなかったようで、食事が終わった後のシェフのテーブル訪問で、味のことなどそっちのけで、気持ち悪さをぶつけたように思う。
見知らぬ住まい手の、どのようなものかもわからぬとはいえ、建築への長年の想いがあったことに対して、敬意を感じることができない人々が多すぎるのだろうか。少なくともそういう輩は、建築家にはなって欲しくない。


20060927

ウリボウは2クールで交換すること

 

昨日は、4:30起床。6:00に西宮を出発。行く先は、今秋すでに幾本かの青物を釣り上げた淡路島翼港。同行者は、よく伺うショットバーのN氏。釣初心者のN氏には、初心者向きのサビキ釣を御教示し、アジを釣っていただく予定。私の方はもちろん、生き餌でのハマチ狙い。
翼港に着いてさっそく、ハマチの生き餌となるウリボウ(シマイサキの子)を釣りながら、その様子をN氏に参考として見てもらって、アジが出てくるまで続ける予定だったのが、ウリボウがまったく釣れない。アジは言わずもがな。このままでは、餌が無いのだから、釣りにならない。少々焦る。そこで、外向きでは潮流が早すぎると判断して、内側での餌釣りに変更。いた、いた、ウリボウが。棚は底近くと思いこんでいたのだが、防波堤際の水面近くで集まっている。
ウリボウを15匹程度を確保して、ハマチ狙いに専念する。3号5.3mの磯竿に4000番台のスピニングリール、5号の道糸と5号のハリス。メジロ(60cm以上のハマチ)が食っても上げられるタックル。ただし、重い。高価な道具じゃない分、余計に重い。西宮一文字では潮の流れがゆっくりなので、1クールが長く、置き竿にしても釣りになるのだが、翼港は明石海峡に近く、潮流のスピードは半端ではない。ゆっくりと歩くスピードで流れるから、ウキにあわせて重いタックルを持ちながら歩いてながしていく。1クールは2分以下。アタリが無ければ、餌のウリボウを引き上げて、また元の位置に戻り、投げ込む。短い時間に何度も引き上げては投げ込むものだから、餌のウリボウの耐力消耗は激しく、3クール目くらいには、瀕死状態、5クールにもなれば、まことに気の毒であるが、昇天してしまう。
翼港の青物ポイントは南北に伸びた外向き波止のカーブした南面だと釣具屋の主人に言われたし、実際にそのポイントにはこの時期、暗いうちから相当の人が竿を出している。数多くの竿が狙うのだから、結果的には青物の数が上がり、唯一のポイントのように思われている。けれど、私はそうは思わない。そこでは潮流が幾分緩く、置き竿での釣法が取れるから楽なのだ。重い重いタックルを何時間も流し続ける釣法をいとわなければ、ポイントは別にもある。狙う私のポイントは今秋青物を上げずに終えた日は無いポイントである。時間は9:00~10:00の間。釣りの時間としてはだいぶ遅めである。それでも、いつも同じポイント、というよりも、同じスポットで青物が上がる。時間的にも場所的にもスポット的に狙えるのだから、確率からすれば、抜群である。

こんな思い込みの強い今秋のデータがあるものだから、9:00から10:00を集中して流す。けれど、アタリが一向に無い。いままでなら、青物がくわえるが違和感を感じて放すアタリが頻繁にあるのに、まったく無い。ウリボウが外向きにいなかったのだから、それを知らずに気晴らしに散歩しているハマチやカンパチがいるはずがない。10:00を過ぎてウリボウが尽き始める。焦ると同時に、あきらめかけた。 N氏が「ウリボウを釣ってきますよ。」と言ってくれて、10分くらいで数匹のウリボウを餌バケツに入れてくれた。けれど、私の方は3時間弱を重い重いタックルを流し続けて、アタリさえなく、根気が切れる寸前。やめようかと思うが、N氏に諭されて続ける。生き餌のウリボウを2クールで取り替える贅沢な方法に変えた。その2投目、ウキが入る。どんどん入って見えなくなって、ベールを起こして道糸を送り込み、青物がウリボウを飲み込むまで我慢。頃合を見計らって、大あわせする。乗った。先々週のシオ(小カンパチ)ほどではないが、ガッガッガッと底へもぐりこむ青物の引き。今秋何本も上げているので、余裕をもってタモでランディングさせる。50Cm弱のピカピカのハマチ。

今秋のデータは、さらに追加されて、
「ウリボウは2クールで交換すること。」


20060909

洲本港の??

今回は釣りの話。気軽にどうぞ。でも、釣をしない人には退屈かも知れません。昨夜、洲本港のお気に入りの場所で、紀州釣。そこは、地元のひとはあまり行かない穴場で、夕方の短時間に潮位が急激に上がる日には、いわゆる高級魚があがります。冬場にヒラメ、ポン級アイナメ、30cm近いメバルなどなど。だから、詳しい場所は書きません。

昨日は、水温の高い初秋の大潮。膨張した海水のため、潮位は冬場よりも高く、午後4:00頃から数時間で1mは上がります。先週、仕事の時間調整時に防波堤のイガイをつつく50cmを超えるチヌを何枚も見ていますから、大阪湾の臭いチヌではない、洲本のチヌをあげようと勇んで洲本に出向きます。

紀州釣で毎回アタリはあるのですが、暗くなるまでにあげたのは20cm前後の小チヌ2枚。貧果です。暗くなってもオキアミをサシエに、配合エサでくるんで紀州釣を続けます。気分転換にサシエをサナギに変えても、一向にアタリなし。そろそろ止めようか。

もう数投のエサしか残っていない時に、きました、ずしんと重いアタリ。まるで、地面を引っ掛けたかのようです。大物はいつもそうですが、ハリにかかった瞬間からコンマ何秒間は、「何かあったの?」というようなきょとんとした感じなんでしょう。唇のどこかを急に引っ張られて、事態を飲み込めていません。そして、コンマ何秒間、毎秒数テラバイトを処理するやつらの脳のCPUは量子力学的スピードで解析し、事態を飲み込み、全神経に命令を発し、行動に移ります。つまり、全生命をかけて逃走します。

陸地で釣竿をひく私は、とほうもないチヌだと感じます。50cmをはるかに超えているのでは、超えているだろう、そうにちがいない、きっとそうだ、絶対そうだ、絶対絶対そうだと確信します。昨年の冬に2号のハリスを難なくぶちきった大物が出没する場所です。1.7号のハリスを極限まで引っ張り、ハリス強度の80%程度に固めたドラッグがいとも簡単に、バックラッシュを起こすのではと思うほどに、逆転するのですから。1.5号、5.3mの磯竿はミシミシという音が聞こえそうなくらい、胴から曲がっています。

海面近くまで浮いてきながらも、幾度もドラッグを鳴らして突っ込み、その重量感は50cmのチヌとは違います。コブダイがきた、とも思いました。

2分程度でしょうか、そんなやりとりの末、60cmのタモにようやく収まります。けれど、暗い中でのやつのシルエットは、細長い。なぜか、細長い。チヌでもなく、コブダイでもないのです。太った猫かと思うほどの、超えすぎた錦鯉かと思うほどの、全長60cm、体高15cmを超える、まるまると太ったボラでした。右腕がけいれんするほどに格闘した相手がボラだとは。

そういえば、チヌにしてはスピードが足りなかったよな、とか、頭をふらなかったよな、とか、急に私は冷静になります。こんなときいつもなら、徒労感が湧き出るのですが、とほうもないファイトを見せたボラなので、靴で蹴って海に返すことはせず、というか、蹴っても動きそうにないので、タオルで包んで抱きかかえて海に返してやりました。お疲れ様でしたね。元気でね、と。


錦鯉の里_小千谷市