20090127

Tullinn City Hall

Estonia Tullinnの国際コンペ。どんな結果がでるのだろうか....。

いつもどおり忙しいコンペだったが、楽しかった。





20090123

ツィゴイネルワイゼンの切通し

昨秋、機会があって鎌倉へ出向いた。東京に10年以上住みながらあまり訪ねる機会が無かった。東京の友人と久しぶりに会おうと思い立ち出かけた。東京に住んでいたころの私にはあまり鎌倉に縁が無かったのだが、実は血縁関係からすると神奈川、特に逗子、鎌倉には深い縁がある。私の3代前はあのあたりで土建会社をしていたらしく、近代以降の新しい隧道の多くを手がけていて、仕事のテリトリーは下田まであったと聞いた。

さて、鈴木清順監督のツィゴイネルワイゼンが好きで、月に一度くらいはDVDを眺めている。あの世とこの世の境い目としてでてくる隧道、釈迦堂の切通しを見たくて、まだ残暑残る鎌倉を歩いた。崩落の危険性があるのだろう、一応は通行禁止と立て札は出てはいるが、通り抜けられる。

夢と現実の境をなくしたような、奇妙な二人の男と一人の女の物語。この切通しの先には、片方の男の家がある設定でツィゴイネルワイゼンの中では、特に重要な場面にここが写される。


京都、奈良に幼いころから親しんでいた私にとって、京都、奈良は気分の落ち着くゆったりとした場所ではあるが、やはり宮廷文化、公家文化であり、今で言えばハイアートの世界である。その上、観光客は世界中から集まり、ちっぽけな祠にさえちゃんと手がかけられて、メンテされている。

比べて、一方、鎌倉は、なるほどクールジャパンのトレンドも手伝ってか、以前よりも観光化されてはいるが、京都、奈良の比ではない。明日倒れそうな地蔵を見かけたりする。まあ、文化庁の予算もまったく違うのだろう。さらに、住宅地が、この釈迦堂の切通し間際まで迫っている。

けれど、そうであるが故に余計に、今現在と500年前が居心地悪く隣り合っているような気がして、なんかの拍子に向こうへ、つつつっと、つながるような気さえした。

切通しや岩山の切り崩しを多く見ていると、これらのどれほどが自然の要衝として鎌倉を選んだ武士たちの成したものなのかはわからないが、彼らの切迫した気迫を感じた。過去の政体にはなんの由来もない政府を作り上げること、おそらくは古来からの占部に耳を傾けたかもしれないし、おだやかな弥生を通り越して、縄文の声を聞いたかもしれない。白井晟一が”縄文的なるもの”で絶賛した、韮山の江川邸を見たときのように古代につながる場所だった、私にとっては。

この切通しを抜けて、少し休憩していると、湿気と暑さでまるで夏なのに、私の吐く息が白く曇った、冬のように。ああ、彼らが来たな、と思った。




20090117

Los Angeles その2

ヨーロッパ言語のうち、ラテン系の言葉、たとえばスペイン語、フランス語では、歴史という意味の言葉に物語という意味が大きく付与されている。歴史は人間が定義する、勝者のための歴史、などなど日本でも理解されていると思う。

しかし、ある時代のある人が、過去の歴史を身のうちに引き受けて、模倣、捏造、改造、破壊、とにかく結果は問わないとして、自分の生きた時代を何かでもって表現する。このことに今の日本人は無頓着ではないか。いや、20世紀後半の他のアジアはもっとひどかった。

ヨーロッパでいつも感じたことは、いくばくかの西洋人が、自分の生きた証として、いわゆる芸術を求めているという、そのことである。何も、いつもハイアートで無くてよい。ポップでもよい。衣食住のように必要とする人たちが、数多くいるのである。




ケーススタディハウスはデザイン論としては、カリフォルニアに花咲いたモダニズム、ミッドセンチュリースタイルだろう。けれど、あれらを欲した当時のニッチは、彼らの両親の世代以上に豊かになり、彼らの両親が愛した様式を拒絶したと考えるべきではないか。







pacific parisadesにあるEames house、Veniceの小さな通り(Strongs drive)の、趣味のいい住宅群。いかにも遊びなれた、人生を楽しみ慣れた人たちの家だった。Malibuもそう。決して建築家的なアヴァンギャルドではないが、そのハイスタイルではない趣味のよさ、ハイスタイル志向のより強いヨーロッパとは異なる自由さ。

普通に格好いい、とこんなときにこそ使うのでしょうか?考えること、あまりに多かった。


たそがれ時にF.O.Gehryの自邸近くを歩く。こんなにどっしりした風格のある(言葉が見つからない)住宅だとは知らなかった。数日後、GehryのWalt Disney Hallと、KahnのSalk Instituteを見るのだが、私のKahnに対する印象が大きく変わった。


20090114

Los Angeles その1

昨年末に、景気が悪いけれど悩んでもしょうがない、エエイとばかり、LAに行った。


ドーナツ屋....まま。いわゆるダック建築。まだこんなのあるのかぁ、という感じ。日本にもたくさんあるけれど。


本当にオイル掘ってる。LAX近く。

それにしても、LA近辺のフリーウェイの車の多さ、その半分以上がいわゆるアメリカンサイズのピックアップや大型のSUV。日本で見かけると、ファンの方には申し訳ないが、無駄に大きいとしか思わない。

けれど、本国の狭いレーン、それも6車線もあるフリーウェイで大挙して走っているのを見ると、少し恐怖感を感じた。緊張して運転しているからか?阪神高速よりも狭いレーンかなと思ったからだろうか?また、飛ばす車は150kmくらいで走っているからだろうか?レンタカーの極端なアンダーステアからか?数日で慣れたけれど.




LAのMid Wilshireという地区の感じのいい住宅街。ハリウッドのショービズで働く人が多いらしい。今も個人住宅として使われているのはもうすでに非常に少なく、ほとんどがアパートメントにコンヴァートされていると聞いた。いわゆるスパニッシュスタイル、けれど、スペインの都市住宅ではなく、田舎家風。ていねいにメインテナンスされているものも多く、見ていて楽しい。ディテールもきちんとしていて、スペインに由縁のある大工さんが一生懸命作ったんだろうなという感じ。今も木製の建具が使われている建物が多く、ああ、日本では無理だなぁ、暑さ寒さがカリフォルニアとは違うから。いや、アルミサッシュが安すぎるせいか?木製サッシュが高すぎるせいか?

それにしても、歩いていて楽しい住宅街の、日本にはなんと少ないことか




これは、オーナーが建築マニアで、内外ともリニューアルして近隣のアパートメントより家賃がずいぶん高いらしい。マニアなのはよくわかる。正しく、ウィーナーセセッション。よく出来ている。ディテールも日本でありがちな、洋風にしてみました、というような野暮ではなく、きっちりと、正確に模倣している。きっちりとまねるなら、中途半端な独創よりもずっと良い。ウィーンにあってもおかしくないほどに、丁寧に作られている。
ただ、カリフォルニアの強烈な日差しは、ウィーンのそれとずいぶん違うので、ウィーナーセセッションのけだるい印象はまったく感じない。写真はなぜか少しハレーション。


20090113

Helsinki と Tullin

万年落選しながら続けている国際コンペ。昨年の11月には、恥ずかしくて言えない失敗で数時間の差でタイムアウトしたヘルシンキの大規模な計画。細かな詰めを行っていたので、非常に無念。2度とあんな失敗はしない。


現在Estonia、Tullinのコンペに奮闘中。今回は必ず提出。

previewということで。




ARU

昨年末、ARU竣工。関係者各位に深謝。

Yさんありがとうございました。もう転居されたでしょうか?

2階の光庭をぐるりと囲むプラン。予想以上に明るく、伊丹からか関空からかの飛行機のルートが真上にあるらしく、騒音はないが2階のテラスから飛行機雲を作りながら飛ぶ旅客機が見える。竣工するまで気がつかなかった。

北側道路の敷地なので、あえて道路側には法的に要求される3階の代用進入口以外を設けず、きれいな曲面を作ることだけに専念した。南側からの夏の夕日の時間帯には、真っ白の壁面がグレーになって、近隣の少しくすんだ家並みに溶け込む。夜は電線の影がこの壁面に映りこむ。この建物もゆっくりと汚れて、周囲になじんでいくのだろう。








錦鯉の里_小千谷市