20250127

図らずもスタイリッシュに


小樽の市街地の建物群_あえて「建物」と書く

魅せようと特に意匠を凝らしたわけではないだろう。

けれど...なかなか味わい深いのだ。



もう要らなくなった、あるいは老朽化した部分を除却して、その何かがくっついていた箇所をごく普通のやり方で補修した。





小樽は冬寒いから、熱損失の大きい窓はできるだけ少なくした。






道路正面を増築する際に、2階へ向かう屋外階段や廊下部分もまた室内化したのではないだろうか。その際に、屋根は勾配で納めて、外壁は少しだけ桜色に。その結果、動きがあるようなファサードになった。




地方都市の地場の無名の建物を見ながらぶらぶら歩くのは、いつもいろいろ発見できて、いつも楽しい。



20250124

旧 増田倉庫_小樽


小樽の観光客エリアから少し外れたところに散在するいくつかの石造倉庫のひとつ。たたずまいがすごくいい。

ラフ過ぎず、精緻過ぎず。

Charles Moore が「スイカの思い出」で語ったこと。






玉山拓郎:FLOOR


リヒターの展覧会を披露するくらいだから、一定のレヴェルが確保されたコンテンポラリーを観れるのだと期待して伺ったのだが...10分も居れなかった。

美術館の公式webでの紹介はこれ。

https://www.museum.toyota.aichi.jp/exhibition/tamayama_takuro



帰路の途中、どこだったかのライブハウスで、ジャズのセッションと銘打って、だらだらとしょうもない即興を聞かされたのを思い出した。こんなもの聞かせるな、耳が腐るんだよ!





(玉山拓郎:FLOOR 豊田市美術館)


20241226

スカルパのブリオンヴェガ墓地が「デューン砂の惑星」に


DUNEの第2部の中盤。「ん、ん??」と目を凝らしたら、スカルパのブリオンヴェガの内部であった。

この表紙にある開口部の横をシャーロット・ランプリングが通り過ぎる。





20241221

博物館のイヨマンテ


アイヌ民族博物館に置かれたイヨマンテの熊。博物館の室内はなんだか落ち着きのないワンルーム型の展示室で、どう撮っても写真がmessy...




けれども、今にもこの熊が動きそうなほどのリアルな再現でした。

ところで、この熊、正式なイヨマンテの儀式をされてからはく製になったんだよな。ちゃんと魂を送ってから残された身体をはく製にしたんだよな、そうだよな?そうでないと浮かばれないよ。




20241219

瑞龍寺


山門をくぐった途端に、「空間」と呼んでいいような指向性をちゃんと感じる、そんな境内。その境内の中央の軸線にさらに境内中央の仏殿とその背後の法堂。このシンメトリーの軸線に載るこれら三棟はすべて国宝。その中でもこの仏殿は特段に完成度が高い。




その内部は禅宗様での斗栱と持ち送り、虹梁で構成されていて、均整がとれており、余計なけれんみなどは微塵もなく、見事である。






まったく指向が異なるものではあるけれど、ミケランジェロのラウレンツィアーナの階段を想いだした。それほどに、濃密な場所。

こんなに素晴らしいとは、知らなかった。



20241120

千歳川の遡上途中の鮭

新千歳空港に近い水族館。その地階からアクリル板越しに千歳川の水面下を眺められる。




秋に必ずやってくる、鮭の遡上。

少し奇妙に言い換えることを許してもらえれば、良質なたんぱく質が大群で我先に先を争って押し寄せてくることだと言える。上代からそれはそれは歓喜をもたらしたことだったろう。穀物がどんなに不作でも必ず彼らはやってくるのだから。




秋田や新潟で、鮭の供養塔や卒塔婆を見たことを思い出す。






20241013

Francis Bacon_富山にて


富山県立美術館所蔵の__Francis Bacon

Baconに関する本やwebをたくさん見て、ずっと実物を見たかったけれど、初めて見れた。

画面の中で完成された、われわれの日常のすぐそばにありそうだけれど、ある別の異なる規則で統整された世界__閉じていて__けれどこちらと繋がっている。

眺めていて、飽きない。ものすごく面白い。


2枚目はこの絵の一部分で、これらの文字は今はもう使われない、いわゆるインレタでしょう?

Baconは身の回りにある様々なものを彼の画面に定着させたと聞いていました。


いつかどこかで、他のBaconを見たい。

いつできるだろう。










20241010

大瀧神社_越前バロック


この大瀧神社の創始は推古天皇の時代であるそうだが、19世紀の天保期に改築され、今となっては日本一複雑な屋根を有する神社だと言う。










側面の彫物や組み物も密度濃く、見応えあり。

差し詰め、越前バロックか。







それとも、トッピング全部乗せ~~...的なユーモアとしてとらえるべきなのかな。



20240909

函館の擬洋風_キマイラ



函館には「擬洋風」の建築がたくさん残っていて、散歩がてら訪ねてみるとなかなか楽しいのだけれど、傷んでいるもの、放置されたものが少なくない。





函館市の観光資産となっている擬洋風建築群のなかにあっても、この建築は、定型的な組み合わせになっておらず、シンメトリーでもなく、破綻もしていない。ディテールのセンスも高く、そのうえ、メンテナンスも十分に施されている。たまたま通りかかって見つけた逸品。
今は商業用途ではない模様で、Google mapsには特記がない。

異質なものが滑らかに上手に連結されているからだろうか、違和感なくちゃんとひとつの建築になっていて、でも再度振り返って見ると、別の世界を起源とするふたつのものが見えたりする...面白い。

キマイラ?

いや、クレオールなのか?




20240903

ロスコルーム_どこへ


千葉県佐倉市の川村記念美術館。縮小移転あるいは事業閉鎖と発表。いくつかの海外メディアも心配の模様。

でも私は、売却されるだろうと予想しています。

今年中に最後の再訪をするつもりなのですが...寂しい。


今日、和歌山県立近代美術館へ別の展覧会に行ったら、いくつかの収蔵品をある文脈でまとめて、展覧...そのなかに、運よくというか、ロスコがひとつありました。

ただ、佐倉のロスコルームほどには繊細にコントロールされていない展示室だからなんとも...

川村記念美術館のロスコルームが、ロスコ作品への特別な敬意とそれを具体化する特別な空間をきちんと実現しているのだと改めて認識した次第。








20240829

鳥取智頭町...山が下りてきた...


鳥取智頭町の石谷家住宅。江戸期から様々な事業を成した大地主の邸宅。




東北で見かける豪農家屋の屋根架構に似て、架構に用いられた木材の寸法は、合理的な寸法を大きく超えている。挽き割って小さな材にして架構を作ろうとするような”経済合理性”は求められていない。

想像するに、当主の持ち山にあったいわくつきの大木だったのか、あるいはどこかから運ばれてきて当主に購入を求めるほどの由緒があったものではなかろうか。

これらは、今の言葉でいうところの ”流通材” では全くない。今は推し量ることが困難だとしても、それぞれの材のそれぞれの様々な由来、唯一性、ひょっとしたら拒絶できない因縁さえも当主や大工、職人は受け入れたのではないか。この架構が出来上がったときには、皆が屋根裏を見上げて、おおいに感嘆したことだろう。...とうとう山が下りてきた...

果たして、今の建築作法にこのような感情は時代遅れだろうか?いや、来年の大阪万博の木材架構の「リング」に私が全く釈然としないのも、こんな感情から来ている。

単価と数量、本数と大きさ、そんなデジタル指標でもって計画し実行する、そして材の由来など気にもかけない。こんなこれまでのような意識をもってこれからも社会を運営していくのか。これは何も建築に限ったことではない。

こんなことをフラットに考えられる機会を設けるのが、経済減衰期のこの国で開催される万博の使命ではないのか。



さて、この石谷家はOrigamic Architectureの茶谷先生の奥様の生家であるそうで、Origamic Architectureがいくつも展示されていた。

なつかしい。





20240808

岩屋堂_三大投入堂のひとつ


鳥取県の兵庫県境に近い、岩屋堂。確かな由緒あるからか、三大投入堂のひとつだと呼ばれているけれど、あまりに凡庸。

元はどんなだったんだろう?







20240801

Dakha Brakha


TV版のFargoで使われていた曲。彼らは、ウクライナのユニット。




NPRによる素敵な紹介...

The creative quartet from Kiev, Ukraine make music that sounds like nothing I've ever heard, with strands of everything I've ever heard. 

20240716

盛岡のセセッション_旧小原写真館


盛岡の古い写真館...旧小原写真館 ファサードに大きな人魚




Otto Wagnerが好んだ くすんだアルミ色

誰が設計したのか、日本の分離派 < ウィーン分離派 だろうか?


とはいえ、どこの誰、は置いて、なかなかチャーミングです。壊さないでね。


20240714

映画_アンゼルム_??


キーファーの ”鉛の本”







Wenders監督の新作映画、「アンゼルム “傷ついた世界”の芸術家」を観た。

20年前にベルリンを訪れる機会があったときに、Hamburger駅を改修(convert)した美術館に行った。ずいぶん長い間毎年、大学の演習時間に紹介した。

そこには目をむくような意匠はまるでなく、非常に落ち着いた場所で、キラキラ嗜好が強い今となっては、日本でも世界でも再びこれから取り上げられることは少ないのではないかと思う。

あの当時は、アンセルム・キーファーについての知識はそれほど持っていなかったし、また、日本ではそれほど注目されていなかったと思う。例外的に、キーファーにインタビューさえした多木浩二の”シジフォスの笑い”をていねいに読んだ後では、多木さんの意味深な表現が多いからか、キーファーの表現とマニフェストに至高性さえ感じていた。

ところが、この映画でWendersが撮ったキーファーは、巨大な廃工場をアトリエにして、自分の作品と蒐集した雑物が溢れるその中を、口笛を吹きながら自転車で走る、葉巻をくわえながら建設機械を使って巨大絵画をつくる、ヨセフボイスゆずりのパフォーマーであって、稀代の享楽者であった。私はそう感じた。

映画の終盤では、ドイツの歴史的罪についてキーファーは今も教条的に断罪し続けている、というようなコメントが出てくるが...?? である。キーファーはしごくシンプルにパリピじゃないですか?

でも、パリピだからこそ、今も自分のペースで(不必要に自省することなく)断罪できるのではないですか?だから聞く価値があるのではないですか?

キーファーの今までと今を知れて、かついろいろ考えさせられて、たいへん勉強になりました。


https://www.youtube.com/watch?v=JYb4wDJKpsQ&ab_channel=HanWayFilms

https://www.youtube.com/watch?v=S9WnnSw1vT8&ab_channel=%E3%82%B7%E3%83%8D%E3%83%9E%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%87%E3%82%A4






20240711

福島県教育会館

ずっと以前から見たいと思っていた前川事務所の初期(1956年)のもの。

機能を形態に置き換えて、それをつなげた時点で「これで良し」として...そのまま模型をドンと机の上に置いて、速やかに実行していった建築なのでしょう...このようなのは稀だと思います。

モダニズムへの純粋な志向、そしてそれが開いてゆく社会に大きな共感を持てるはずだと感じていたのでしょう。その意味で、今では決してできない建築。

とはいえ、なかなかカッコイイのです。



















20240629

東北の番屋




火の見やぐら、なんて言葉はもう死語でしょう。





盛岡には、今も現役の火の見やぐら「番屋」が生きていて、消防車が格納されている。住宅スケールの勾配屋根に、何か海の生き物の形をしたようなやぐらが載っかってて、可愛らしいというか何というか。


五戸にもあった。




これからも大事にしてもらって、直しながらぜひ使い続けて欲しいなぁと素直に思います。



20240611

観覧車から桜島を望む


オッサンひとりで観覧車に乗ることなど、特別な理由が無ければまずやらない。その特別な理由とは、鹿児島中央駅の駅ビル屋上には観覧車があって、そこからは桜島を遠望できること。



阿呆は高いところに登るというが、文字通りそのまんま。そんな阿呆は万国共通のようで、観覧車を降りたら、旅行客であろうアジア人や白人のオッサンたちもたくさん、観覧車の列に並んでいた。

でも考えてみたら、そこそこの都市のすぐそばにある活火山なんて、日本を除いたら、ナポリ近くのベスビオ火山くらいでしょう。そりゃあ、珍しいよな、見たいよな。






AB アール・ブリュット_ケレン味の無いこと


「も」だけが書かれて、




作者たちの日々の楽しみ。

何より作者自身のための創作。ケレン味などありはしない。

それどころか、H・ダーガーのように、創作を誰にも見せずに、封印したかったものもあるんじゃないだろうか。

見れて、よかった。

(つくる冒険 日本のアール・ブリュット45人 滋賀県立美術館)



20240604

開聞岳、ああ開聞岳や、開聞岳...字余り



指宿で再訪したかった建築を見てから、JR九州_指宿枕崎線に乗って、枕崎へ。

開聞岳、見惚れます。














20240530

旅先で昔の別の旅を想い出す_Le puyのサンデギーユ礼拝堂




先日、旅先の地方都市を歩いていたら、小さな古書店の前を偶然に通りかかって、その小さなショーウインドウに「今週のおすすめ」みたいな感じでこの本が飾られていた。とても懐かしくて譲ってもらった。

実は、この本そのものが懐かしいわけではなくて、この本の表紙のLe puyの礼拝堂には、学生の頃訪ねたことがあったからである。「ああ、こんなところに行ったんだった。」と。

当時はネットなんかもちろん無いから、ヨーロッパの建築の情報は極めて限られていて、大学の副教材だった「西洋建築図集」のなかに、数枚の小さくて印刷の荒い白黒写真を見ただけだった。けれど、それらの小さな数枚の写真に魅せられて、岩山に頂くこのフレンチロマネスク教会を訪れた。

この写真から素直に想像できるように、礼拝堂に到る階段はたいへん急で、息を上げながら登って行った。堂の前に着いたら、オープン時間を少し過ぎているのだけれど、入り口の扉は締まっている。どうしたものか、と考えていたら、下から、はあはあとの息遣いとともに、ピンク色のコートを着た少女が頬を赤くさせて上がってきた。下にある教会の牧師さんの娘さんで、鍵番だった。「お客さんがこんなに早く来るとは思ってなかった」なんて声をかけてくれて、扉の鍵を開けてくれた。「スケッチをしたいから30分くらい居たい」と伝えて堂内に入った。

礼拝堂のなかはほの暗く、目が慣れて初めていろいろと見えてくる。

黒いペンがインク切れしていて、鉄道旅行のガイドブック(トーマスクック)に赤入れする赤ペンしか持ち合わせてなかった。




スケッチが終わってから外へ出たら、その少女は下に戻ったみたいで、そのあとお礼を言うことはできなかった。そんなこんなを今も想い出す。

1984年4月12日と記してあるから、もう40年も前のこと。


20240518

盛岡のJohn Heyduk

これ、Heydukでしょう?

このユーモアの感じ...絶対Heydukですね.

間違いない(笑)





20240507

Jandek

 


時々Jandekの声を聴く。

いわゆる、心地よい”調べ”をつくれない、上手になれない音階--我々は聞き馴れない--と、消え入りそうなLyric...けれど、もうちょっと聴いてみようとする。

JandekのこのYoutubeに200近いコメントがあるのを見て、そこにコメントを残そうとする人が少なからずいるのを見て、それらのコメントのいくつかが実に切実に彼らの心を語っているのを知って、私は安心する。Jandekの空気を必要とする人たちがいろいろなところにいる。


20240429

東北の寺社には茅葺が多く...

 白山神社 新潟県糸魚川市




恐らくは、屋根瓦では凍害が現れることが主因であろうかと思うが、東北の寺社には茅葺が多い。そしてその維持には、茅葺職人を含めた地元でオーガナイズされた組織や茅を安定して調達できる環境-風土も必要だろう。また、現代であれば、瓦葺き以上に手間も、恐らくコストも求められるのだろう。

茅葺屋根は、寺社の大きな屋根架構に載ると、その茅の刈り込みの手際も相まって、風格のあるものに仕上がる。その一方、丸みを帯びた茅葺屋根が民家にも至極普通に用いられているからであろう、馴染みが深く、優しい。



旧朴舘家住宅 岩手県二戸郡一戸町




これは寺社ではないのだが、十七間×九間(30M×16M)のとても大きな豪農の民家。残雪が載ったままの大きな屋根とそれを支える、豪雪地帯の大屋根を支えるための柱、梁、束、貫...丸太垂木... 。特に柱は強度に勝る栗材が用いられているらしい。

白井晟一の“縄文的なるもの”のなかの一文「茅山が動いてきたような茫莫たる屋根と...」を想い出す。



映画 新凱旋門物語

  パリの新凱旋門の国際コンペの当選決定から、竣工までの建設現場のいろいろを、1等当選者のデンマークの無名な建築家を主人公として、施工責任者として実務をこなすところの、シャルル・ド・ゴール空港を担当したテクノクラート建築家のポール・アンドリュー、当時のミッテラン大統領などを登場さ...