デンマークの地方都市の建築学校の国際コンペ。
先月の締め切りに間に合わず。
森田慶一の「西洋建築入門」(実は神戸大学建築学科の教科書であった)の序文には、
“...ヨーロッパ文化の一事象としての建築をいうのである。したがって、このヨーロッパは文化的なひろがりにおいて捉えられているのであって、地理学的な一定の境域を意味するのではなく、歴史的形成のうちに成るヨーロッパである。”とある。
ヨーロッパ建築史は新古典主義がフランス、イギリスに生まれた頃に作られた歴史観であり、上記の森田教授が述べるように「歴史的形成」の上の、言い換えればヨーロッパという概念を強化するためのヨーロッパ建築史であるとも言える。「西洋建築入門」の章立ても古代ギリシャから始まり、古代ローマ、初期キリスト教建築、ロマネスク、ゴシック、イタリアルネサンス、バロックを経て、新古典主義、アールヌーボー、20世紀初頭の近代建築を最終章とし、地理的、民族的な一貫性はない。また、ヨーロッパに少なからぬ影響を与えたシリアやエジプト、ビザンチンといった建築には若干の記述があるのみである。
新古典主義の時代に最強の国であった大英帝国をはじめとする諸国は、あくまで好意的に捉えればであるが、これらの数千年の文化継承の大義を理解し、引き受ける寛容さと努力を持っていた、と考えられるのではないか。
現代ギリシャの再興に各国の政治的思惑があったとしても、ヨーロッパという固有名詞を括弧付の「ヨーロッパ」へと、オリエントに対抗する一地方のヨーロッパを越える普遍的な「ヨーロッパ」へと。
さて、現状のEUはどうか。
物質的な均質空間/流通機構が専横し、精神としての普遍への希求に疲れ、北ヨーロッパの価値観でだけでギリシャを糾弾しているように見える。
フランコ・カッサーノは「南の思想」において、次のように言う。
「その仮説とは、「南」の近代化は不完全で不十分なものなのか、そうではなく、むしろそれだけが唯一可能な、現実の近代化ではないのか、というものだ。」
「ヨーロッパ」の普遍主義は原理的に、遅れているもの、弱いもの、生産力の低いものをあらかじめ要請しているのではないか、ひいてはこれがヨーロッパを疲弊させているとても大きな原因ではないかと私には受け取れる。
写真はアテネの国立考古学博物館の中庭にあったギリシャ彫刻。
昔火災にあったのか、それとも海水にでも浸かっていたのか
先月、ほぼ30年ぶりのアテネ。
プラカ地区は様変わりしていた、観光客向けに。
今日もアクロポリスは観光客の「巡礼」で大混雑だろう。
そして、帰国直後に彼の地は緊急事態。来週の住民投票の結果は世論を二分することになるようで、あのおおらかな人たちが互いにいがみ合うようなことにならないように、心から願う。
仕事とプライヴェートを含めてもう20回以上は訪れている沖縄。私自身、特別な感情をもっている場所である。
「これが沖縄の生きる道」を読む。
前半。
沖縄の状況分析は、ああやはりそうなんだ、と感じ入るところ多い。
自身の経験でも、那覇の裏通りで地元人と話したり、目取真俊の「虹の鳥」や大城 立裕の「恋を売る家」を読んだりすると、一筋縄ではいかない沖縄の政治的複雑さ、ひいては日本という国の同じそれを感じざるを得ない。中上健次は同様のものを新宮の路地から見たのではなかったか?
後半。
国際通りの景観の陳腐さを各地権者間の意思統一や協議が無いから、不統一で陳腐であって、とある。どうだろうか?不統一で陳腐であることは、そんなに沖縄に不似合いだろうか?
クラブメッドは要らない、とすれば、その処方箋は統一感ある沖縄的景観?
いくら表面を統一させたとしても、観光客向けの観光地としての景観なのだから、一種のフェイクであることだろう。
今年のプラハで感じたように、世界中の観光客へ媚びへつらった、いわゆる景観のディズニーランド化は仮に商業的な成功を伴ったとしても、それはプラハの必然的結果なのだろうか?違うと思う。
ホドロフスキーのリアリティのダンスを観る。
彼の出自と生い立ち。彼を苦しめ、そして成長させたもの。あの齢になってまでも引きずってきたのか。ホドロフスキーの実の息子たちを出演させてまでこの映画を撮ったと聞いた。
何曲かRosita Serranoだろうと思う。当時のチリを描くには欠かせないのだろう。Naziと結びついた歌い手というような扱いではなかったが。
プラハ旧市街広場で見かけたスグラフィット。
クラクフのこれもそれだったと思う。
バルセロナのこれもか?
我々の時代には装飾と建築あるいは街との優雅な関係はもう望まれていない、悲しいことに。
そして今日もシリアのダマスカスで破壊され続けている建築群。装飾が無ければそれらの建築はほぼ評価不可能だろう。けれど、装飾どころか、すでに世界遺産のいくつかが爆撃で破壊されたと聞いた。言葉にならない。
グランドブダペストホテルを観る。幾人もの上手な役者さん達、楽しい映画。
多くのブログで触れられているように、この映画のエンドロールではシュテファン・ツヴァイクにinspireされたと。
これから読むのだが、1930年代をオーストリア・ハンガリー帝国で生きた時代の回顧的準遺作「昨日の世界」には、“ヨーロッパが失われた”と書かれているらしい。
この数年の世界中の混沌を見るにつけ、再びこんなフレーズが世界のいくつもの場所で発せられるのではというような不安を感じている人は少なくないだろう。
先月のプラハでは、そのヨーロッパを維持、再現した以上、以下でもない、何か窮屈な印象を受けた。中世の町並みの香りなどと聞いたが、非常に手入れの行き届いたテーマパークのよう。オーストリア・ハンガリー帝国の一部を成した、ボヘミア。街にはほとんどその香りは感じられず、閑散とした美術館にわずかにだけ。それにしてもあの街を埋め尽くす旅行客はプラハのどこに心を動かすのだろう。
クラクフのJewish Districtのシナゴーグをいくつか見て回る。ひとつだけ礼拝堂そのものを見せてくれるところがあった。他は入堂禁止。天井の装飾はいただけないが、壁に散見されるヘブライ文字。タルムードだろうか。偶像の無い、ミニマルとも感じる小さな空間は、他の観光客もいない。ステンドグラスで演出された光も無い。どこか遠くを想う場所なのだろうな、と感じる。どこか遠くとは、この世にある場所ではなく。
クラクフ各所で見かけた、半分壊れたあるいは放棄されたレンガ造建物。もし仮にリストア、コンバーションのコンペでもあれば是非参加してみたいと思うほど。色々と創造をたくましくしながら周囲をみて歩く。壁からも雨漏りするのだろう、ルーフィング貼ったままのも。
一部をリストアして使っている。こんなところにオフィスがあれば、カッコイイだろうな。
すぐに古い建築をなんだかんだと理由をつけて、壊してしまう、その後にどうしようもないものを良く考えずに作る。たいして必要なものではなく、投資のための投資。そんな日本を振り返れば、投資先に困るほどにだぶついた資金のことを、「潤沢な資金を保有している。」なんて言ってていいのでしょうか。
ポーランド国内のロシアイコンを集めた美術館、とどこかのwebで見つけて、ウクライナに程近いSanokを訪れる。古い屋敷を改造した美術館で、ロシアイコンを収容する旧館と地元の現代美術を展示する新館で構成されているが、建物そのものはまるで魅力なし。
けれど、ロシアイコン好きにとっては、何時間でもいられる場所。日本ではこんな展覧会はまず無いだろう、絶好の美術館だった。
それにしても、推測だが、これらのイコンを保持していた教会は放棄されたのだろうか?それとも何か他の理由でイコンが収集されたのか?わからない。
Debno、Sekowa、Orawka、Kwaiatonなどなど。いくつかの木造教会を二日間かけて見て回る。ロシアの影響を受けた様式の教会群は、ルーマニアからポーランド、スロヴェキアにまたがって残っていると聞いた。決して大きなものではなく、ものすごい施工技術で作られているわけでもない。今も地元の大工さんが細々とメンテしている感じ。釘を面打ちしたところなどたくさん。ちょっと素人っぽい造りではある。
けれど、すばらしいヴォリューム感覚を感じるいくつかの教会、何時間でも見ていられそうな祭壇画。時折訪れる観光客や短い礼拝に訪れる地元のおじさん、おばさん。
どの教会も地元の人々から愛されているのが良くわかる。UNESCOの予算がついて駐車場整備をしているところなどもあったが、そこは逆に興ざめであった。
小さな村にひとつずつ。低い塀で囲まれた教会の敷地内にはたくさんの墓石が並び、その村で生まれ、そして死んでいった人たちだろう彼らが教会の横に眠る。
クラクフ空港でレンタカーを借りる。ポーランド南東の世界遺産に登録された木造教会群を見るのが主目的。
レンタカーにマウントされたナビが壊れることも警戒して、日本でgarminのナビとヨーロッパ地図データのminiSDを購入。Google earthから目的地すべてをPCからgarminに入力し、旅先へ持っていった。
シガーソケットから電源を取り、レンタカーで起動させると、日本車の純正ナビのような丁寧な日本語では話してくれないが、驚くほどの精度。タッチパネルの感度はイマイチか、と思うが、慣れない海外では本当に心強い。試してみてよかったと思う。