新千歳空港に近い水族館。その地階からアクリル板越しに千歳川の水面下を眺められる。
秋に必ずやってくる、鮭の遡上。
少し奇妙に言い換えることを許してもらえれば、良質なたんぱく質が大群で我先に先を争って押し寄せてくることだと言える。上代からそれはそれは歓喜をもたらしたことだったろう。穀物がどんなに不作でも必ず彼らはやってくるのだから。
秋田や新潟で、鮭の供養塔や卒塔婆を見たことを思い出す。
新千歳空港に近い水族館。その地階からアクリル板越しに千歳川の水面下を眺められる。
秋に必ずやってくる、鮭の遡上。
少し奇妙に言い換えることを許してもらえれば、良質なたんぱく質が大群で我先に先を争って押し寄せてくることだと言える。上代からそれはそれは歓喜をもたらしたことだったろう。穀物がどんなに不作でも必ず彼らはやってくるのだから。
秋田や新潟で、鮭の供養塔や卒塔婆を見たことを思い出す。
富山県立美術館所蔵の__Francis Bacon
Baconに関する本やwebをたくさん見て、ずっと実物を見たかったけれど、初めて見れた。
画面の中で完成された、われわれの日常のすぐそばにありそうだけれど、ある別の異なる規則で統整された世界__閉じていて__けれどこちらと繋がっている。
眺めていて、飽きない。ものすごく面白い。
2枚目はこの絵の一部分で、これらの文字は今はもう使われない、いわゆるインレタでしょう?
Baconは身の回りにある様々なものを彼の画面に定着させたと聞いていました。
いつかどこかで、他のBaconを見たい。
いつできるだろう。
この大瀧神社の創始は推古天皇の時代であるそうだが、19世紀の天保期に改築され、今となっては日本一複雑な屋根を有する神社だと言う。
差し詰め、越前バロックか。
千葉県佐倉市の川村記念美術館。縮小移転あるいは事業閉鎖と発表。いくつかの海外メディアも心配の模様。
でも私は、売却されるだろうと予想しています。
今年中に最後の再訪をするつもりなのですが...寂しい。
今日、和歌山県立近代美術館へ別の展覧会に行ったら、いくつかの収蔵品をある文脈でまとめて、展覧...そのなかに、運よくというか、ロスコがひとつありました。
ただ、佐倉のロスコルームほどには繊細にコントロールされていない展示室だからなんとも...
川村記念美術館のロスコルームが、ロスコ作品への特別な敬意とそれを具体化する特別な空間をきちんと実現しているのだと改めて認識した次第。
鳥取智頭町の石谷家住宅。江戸期から様々な事業を成した大地主の邸宅。
東北で見かける豪農家屋の屋根架構に似て、架構に用いられた木材の寸法は、合理的な寸法を大きく超えている。挽き割って小さな材にして架構を作ろうとするような”経済合理性”は求められていない。
想像するに、当主の持ち山にあったいわくつきの大木だったのか、あるいはどこかから運ばれてきて当主に購入を求めるほどの由緒があったものではなかろうか。
これらは、今の言葉でいうところの ”流通材” では全くない。今は推し量ることが困難だとしても、それぞれの材のそれぞれの様々な由来、唯一性、ひょっとしたら拒絶できない因縁さえも当主や大工、職人は受け入れたのではないか。この架構が出来上がったときには、皆が屋根裏を見上げて、おおいに感嘆したことだろう。...とうとう山が下りてきた...
果たして、今の建築作法にこのような感情は時代遅れだろうか?いや、来年の大阪万博の木材架構の「リング」に私が全く釈然としないのも、こんな感情から来ている。
単価と数量、本数と大きさ、そんなデジタル指標でもって計画し実行する、そして材の由来など気にもかけない。こんなこれまでのような意識をもってこれからも社会を運営していくのか。これは何も建築に限ったことではない。
こんなことをフラットに考えられる機会を設けるのが、経済減衰期のこの国で開催される万博の使命ではないのか。
さて、この石谷家はOrigamic Architectureの茶谷先生の奥様の生家であるそうで、Origamic Architectureがいくつも展示されていた。
なつかしい。
TV版のFargoで使われていた曲。彼らは、ウクライナのユニット。
NPRによる素敵な紹介...
The creative quartet from Kiev, Ukraine make music that sounds like nothing I've ever heard, with strands of everything I've ever heard.
盛岡の古い写真館...旧小原写真館 ファサードに大きな人魚
Otto Wagnerが好んだ くすんだアルミ色
誰が設計したのか、日本の分離派 < ウィーン分離派 だろうか?
とはいえ、どこの誰、は置いて、なかなかチャーミングです。壊さないでね。
キーファーの ”鉛の本”
Wenders監督の新作映画、「アンゼルム “傷ついた世界”の芸術家」を観た。
20年前にベルリンを訪れる機会があったときに、Hamburger駅を改修(convert)した美術館に行った。ずいぶん長い間毎年、大学の演習時間に紹介した。
そこには目をむくような意匠はまるでなく、非常に落ち着いた場所で、キラキラ嗜好が強い今となっては、日本でも世界でも再びこれから取り上げられることは少ないのではないかと思う。
あの当時は、アンセルム・キーファーについての知識はそれほど持っていなかったし、また、日本ではそれほど注目されていなかったと思う。例外的に、キーファーにインタビューさえした多木浩二の”シジフォスの笑い”をていねいに読んだ後では、多木さんの意味深な表現が多いからか、キーファーの表現とマニフェストに至高性さえ感じていた。
ところが、この映画でWendersが撮ったキーファーは、巨大な廃工場をアトリエにして、自分の作品と蒐集した雑物が溢れるその中を、口笛を吹きながら自転車で走る、葉巻をくわえながら建設機械を使って巨大絵画をつくる、ヨセフボイスゆずりのパフォーマーであって、稀代の享楽者であった。私はそう感じた。
映画の終盤では、ドイツの歴史的罪についてキーファーは今も教条的に断罪し続けている、というようなコメントが出てくるが...?? である。キーファーはしごくシンプルにパリピじゃないですか?
でも、パリピだからこそ、今も自分のペースで(不必要に自省することなく)断罪できるのではないですか?だから聞く価値があるのではないですか?
キーファーの今までと今を知れて、かついろいろ考えさせられて、たいへん勉強になりました。
https://www.youtube.com/watch?v=JYb4wDJKpsQ&ab_channel=HanWayFilms
https://www.youtube.com/watch?v=S9WnnSw1vT8&ab_channel=%E3%82%B7%E3%83%8D%E3%83%9E%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%87%E3%82%A4
ずっと以前から見たいと思っていた前川事務所の初期(1956年)のもの。
機能を形態に置き換えて、それをつなげた時点で「これで良し」として...そのまま模型をドンと机の上に置いて、速やかに実行していった建築なのでしょう...このようなのは稀だと思います。
モダニズムへの純粋な志向、そしてそれが開いてゆく社会に大きな共感を持てるはずだと感じていたのでしょう。その意味で、今では決してできない建築。
とはいえ、なかなかカッコイイのです。
火の見やぐら、なんて言葉はもう死語でしょう。
盛岡には、今も現役の火の見やぐら「番屋」が生きていて、消防車が格納されている。住宅スケールの勾配屋根に、何か海の生き物の形をしたようなやぐらが載っかってて、可愛らしいというか何というか。
五戸にもあった。
これからも大事にしてもらって、直しながらぜひ使い続けて欲しいなぁと素直に思います。
オッサンひとりで観覧車に乗ることなど、特別な理由が無ければまずやらない。その特別な理由とは、鹿児島中央駅の駅ビル屋上には観覧車があって、そこからは桜島を遠望できること。
阿呆は高いところに登るというが、文字通りそのまんま。そんな阿呆は万国共通のようで、観覧車を降りたら、旅行客であろうアジア人や白人のオッサンたちもたくさん、観覧車の列に並んでいた。
でも考えてみたら、そこそこの都市のすぐそばにある活火山なんて、日本を除いたら、ナポリ近くのベスビオ火山くらいでしょう。そりゃあ、珍しいよな、見たいよな。
「も」だけが書かれて、
作者たちの日々の楽しみ。
何より作者自身のための創作。ケレン味などありはしない。
それどころか、H・ダーガーのように、創作を誰にも見せずに、封印したかったものもあるんじゃないだろうか。
見れて、よかった。
(つくる冒険 日本のアール・ブリュット45人 滋賀県立美術館)
先日、旅先の地方都市を歩いていたら、小さな古書店の前を偶然に通りかかって、その小さなショーウインドウに「今週のおすすめ」みたいな感じでこの本が飾られていた。とても懐かしくて譲ってもらった。
実は、この本そのものが懐かしいわけではなくて、この本の表紙のLe puyの礼拝堂には、学生の頃訪ねたことがあったからである。「ああ、こんなところに行ったんだった。」と。
当時はネットなんかもちろん無いから、ヨーロッパの建築の情報は極めて限られていて、大学の副教材だった「西洋建築図集」のなかに、数枚の小さくて印刷の荒い白黒写真を見ただけだった。けれど、それらの小さな数枚の写真に魅せられて、岩山に頂くこのフレンチロマネスク教会を訪れた。
この写真から素直に想像できるように、礼拝堂に到る階段はたいへん急で、息を上げながら登って行った。堂の前に着いたら、オープン時間を少し過ぎているのだけれど、入り口の扉は締まっている。どうしたものか、と考えていたら、下から、はあはあとの息遣いとともに、ピンク色のコートを着た少女が頬を赤くさせて上がってきた。下にある教会の牧師さんの娘さんで、鍵番だった。「お客さんがこんなに早く来るとは思ってなかった」なんて声をかけてくれて、扉の鍵を開けてくれた。「スケッチをしたいから30分くらい居たい」と伝えて堂内に入った。
礼拝堂のなかはほの暗く、目が慣れて初めていろいろと見えてくる。
黒いペンがインク切れしていて、鉄道旅行のガイドブック(トーマスクック)に赤入れする赤ペンしか持ち合わせてなかった。
1984年4月12日と記してあるから、もう40年も前のこと。
時々Jandekの声を聴く。
いわゆる、心地よい”調べ”をつくれない、上手になれない音階--我々は聞き馴れない--と、消え入りそうなLyric...けれど、もうちょっと聴いてみようとする。
JandekのこのYoutubeに200近いコメントがあるのを見て、そこにコメントを残そうとする人が少なからずいるのを見て、それらのコメントのいくつかが実に切実に彼らの心を語っているのを知って、私は安心する。Jandekの空気を必要とする人たちがいろいろなところにいる。
白山神社 新潟県糸魚川市
恐らくは、屋根瓦では凍害が現れることが主因であろうかと思うが、東北の寺社には茅葺が多い。そしてその維持には、茅葺職人を含めた地元でオーガナイズされた組織や茅を安定して調達できる環境-風土も必要だろう。また、現代であれば、瓦葺き以上に手間も、恐らくコストも求められるのだろう。
茅葺屋根は、寺社の大きな屋根架構に載ると、その茅の刈り込みの手際も相まって、風格のあるものに仕上がる。その一方、丸みを帯びた茅葺屋根が民家にも至極普通に用いられているからであろう、馴染みが深く、優しい。
旧朴舘家住宅 岩手県二戸郡一戸町
これは寺社ではないのだが、十七間×九間(30M×16M)のとても大きな豪農の民家。残雪が載ったままの大きな屋根とそれを支える、豪雪地帯の大屋根を支えるための柱、梁、束、貫...丸太垂木... 。特に柱は強度に勝る栗材が用いられているらしい。
白井晟一の“縄文的なるもの”のなかの一文「茅山が動いてきたような茫莫たる屋根と...」を想い出す。
誰が書いたのだったか、FLライトのNYグッゲンハイムは、そのスロープが、力学的構造と動線と意匠を一体的に規定しているので、なので傑作とは言えない、とかなんとか、読んだことがある。私の記憶の中で脚色しているかもしれないが。
ただ、RC構造のNYグッゲンハイムに較べてみれば、木造で造られた会津さざえ堂の二重らせんは、その表現はよりストレートである。
スロープだけで構成されたところのいわゆる”さざえ堂”形式は日本国内にいくつかあり、とはいえ、NYグッゲンハイムと同じく、世界的に希少といえる形式だといえるだろう。会津さざえ堂は、本流の”日本建築史”にはほとんど相手にされずとも、特に建築プロパー界隈ではよく知られている。
基本的に線材の構造体(柱梁)を現わす(見せる)日本建築は、その構造手法と空間構成原理が密接に、それも宿命的に連関している。となれば、会津さざえ堂は、そのような手法で造られたダイナミックな二重らせんを描くスロープ構造しかない、ほぼないとさえ言えて、それはそのままストレートでダイナミックな表現に結実している。
外観に二重らせんがそのまま反映され、斜めに架かる桁や貫が、水平面から大きな勾配を伴って上昇していく力強さは、素晴らしい。ディテールが簡素なので、よけいに力強い。
また、その堂内のきつい斜路はまるで山間を歩くような動作を要求される。けれどなぜか、どこか気楽な印象を受ける。
最後に弘前禅林街のさざえ堂。会津ほどの力強さは無い。
これでは、もっとよく見たい、中に入りたいという気持ちは起きない。
インバウンドやら、何とか映えとか、もうちょっと静かに旅させてくれよ、と思うばかりの今日この頃。たとえ静かに巡りたいところであっても、TVや雑誌やwebで一度紹介されれば、瞬く間にお客さんであふれ、交通も宿もひっ迫し、価格も高騰。
20代のころ、南仏のサントロペが、かのパリ人の間での人気に火がついて、静かな休息を望む人々が滞在先から外したと聞いたのだが、昨今は似たようなことがもう世界中で起こっている。
石垣島には随分ご無沙汰しているのもそんな理由からなのだが、その当地の知り合いにこんなふうに言われたことがある。「鳥取って砂丘以外に観るもんあるの?」。いや、ね、大してないから人気ないし、だから静かだし、時々行きたくなるんです、冬にはヒラメを食べに行くんです、と答えた。
鳥取の中心市街地はその他の地方都市同様、いわゆる歯抜け状態で、年季の入った建物とバブッた時期の建物が混在している。そんな街区をゆっくり歩きながらその様相や込み入っているであろう隣接地との関係などを観察しながら、その建物のプロファイルというんでしょうか、履歴というんでしょうか、そんなものを想像してみるのは、酒の肴にちょうどいい。何かの結論を付けることなどせず、ほろ酔いアタマでぼやっと考えるのが楽しいのです。
この建物は、どうしてここまでトタンの波板で補修し続けてるのだろうか?ずいぶん錆びついた真っ茶色の部分とそれより新しいけれど数十年は経ってる部分がある、その他いろいろもあって、ということは、もう昭和から平成にかけて、何度も修繕し続けてるに違いない。下から波板を挿し入れて、補修したのだろうな。また、軽自動車が停まっているところ、つまりこの建物の後ろ半分には昔日、片流れ屋根の小さな建物がくっついていたのではなかろうか?
よう知らんけど。
補修のその手直しの技術や精度は、「漏れなきゃええ」程度の決して頑張ったものではないが、建物そのものが「俺はここにおるぞ」と強弁しているように感じられて、「でもあんた、満身創痍じゃん」と返しつつ、立ち止まって写真を撮ってしまう。
そして次は横綱級。
鳥取駅から少し離れた川沿いの、かつては街工場が勢いあったような地区。この3枚の画像は同じ建物であるのだが、この迫力はすごい。
アブストラクト彫刻のようなヴォリューム構成、それらの壁面はそれぞれテクスチャ感満載、もうプロファイリングなんて出来そうもないくらいの複雑さ、なんでこんな風にデッコンンボッコンになったの??昔は隣にどんな建物がくっついてたの?
いやはや、面白い。
こんな鳥取の「詠み人しらず」に大きく拍手。
パリの新凱旋門の国際コンペの当選決定から、竣工までの建設現場のいろいろを、1等当選者のデンマークの無名な建築家を主人公として、施工責任者として実務をこなすところの、シャルル・ド・ゴール空港を担当したテクノクラート建築家のポール・アンドリュー、当時のミッテラン大統領などを登場さ...