20080829

Submission for the competition in Voru, Estonia

バルト三国のひとつエストニアの小都市へのコンペ案。

ひたすら疲れた。




ARU 現場は奮闘中

ARUの現場打ち合わせにて。

いつも思うが、現場は汚く写ります。フラッシュがいらない影まで写すからでしょうか。




20080425

Whisper

久しぶりの海外コンペ。建築ではなく、記念碑。

南北戦争を奴隷の身分のまま戦った、黒人兵士たちが埋葬された場所に記念碑をつくるというコンペ。よくある鎮魂碑では面白くなく、コンペの意味もないし、戦没者記念碑のような政治的な意味合いも付与したくなかった。


埋葬された棺の位置が明確になっているため、その棺の位置に、その棺の大きさの真鍮のプレートを敷き込み、そこから数本の真鍮の曲げたロッドを、草のように立ち上げる。風がそれを横切れば、ヒューと音がするだろうし、強い風が吹けばロッド同士が、隣に埋葬された彼ら同士のロッドがぶつかりあい、カンカンと音がするだろう。彼らのつぶやきか?笑い声か?泣き声か?



敷地の奥には、無数の真鍮のロッドの林を作り、それらはいまだ発見されていない、あるいは既に遺棄された彼らの仲間への鎮魂である。



20080318

洲本AMI始まる

東京に事務所のあった頃から、かれこれ洲本との付き合いは10年以上となる。レンガ造の改修、住宅やコンバーションなどなど、数々の仕事に恵まれ、たくさんの人と知り合った。プライベートなことも話せる友人も出来て、洲本の町を歩いていると、たびたび声をかけられる。叱られることも。

東京から阪神間に戻ってもう10年、夙川を散歩するのが好きで、苦楽園に今も住み続けている。住宅を依頼してくれるクライアントには必ず、「あなたが住むのは家とそして、街ですよ。」と、老婆心を持って話す。

私自身、そんな風に生きている。たしかに誰にも邪魔されたくないプライベートな時空間は必要だが、適度な情緒的な距離感を維持できるような近隣や街に住んでいる感覚こそ大事にしたい、いや、そうでなければ住んでいられない。

夫婦と子供でワンセット、こんなアメリカ型の家族形態がいまや理想でもなんでもなく、様々なヴァリエーションの家族がそれぞれのやり方で生きている。ある人は血縁関係も超えて。ある人は、たった一人で、友人たちとの関係こそが家族であるように。

こんな話をしていたら、友人たちと終の棲家を作りたい、と言う人たちが現われた。洲本の中心市街地の利便性を優先するので、郊外のコロニーのような住宅群を作るのではない。中層の集合住宅が求められた。

当初は、有志によるコーポラティブを進める予定であったが、進めるにつれ、コーポラティブ事業そのものの難しさを知った。制度上の不合理、それに直接関係する銀行融資と租税、不動産として存在する故に発生せざるを得ない権利関係、将来の相続への波及など。それまで面識の無かった人たちが有志で行う場合のほうが、コーポラティブの事業方式にフィットするのではないだろうか、おそらく日本では。

共同の終の棲家を作ろうとそれだけを純粋に考える人たちにはやはり不向きであると思う。彼らも全く同じ印象を持ったらしく、権利云々の生臭い話はプロジェクトを前に進めるにおいてやるべきでないと判断したと思う。そこで、彼らのうちの一人が所有する敷地に、事業手法としてはいわゆる賃貸住宅を進めることとなった。

総戸数9戸の賃貸住宅と共同で利用できる屋上テラス、小屋....本来のニュアンスを表現する用語がない。事業手法の用語か、抽象的な用語しかない。

1階には、このプロジェクトに賛同する若い女性が運営するカフェが入り、もちろん、一般のお客さんに向けてのお店であるが、ここに住む住人達の時折のダイニングやリビングとなるだろう。




20080213

八重山の安里勇(再録)/風土と声/volver

 


数年前、仕事としては続かなかったのだが、石垣島へ数度通うことがあった。仕事上の付き合いから知り合った人に美崎町の安里屋へ連れて行かれ、そこで初めて安里勇さんの八重山民謡を聞いた。店はいわゆる民謡スナックだから、ライブハウスのような音質は期待できないし、なかには話し込む客もいるから、そのときは「結構いいなぁ」程度の印象だった。酔っ払っているせいもあって、安里さんの名前も憶えず、離島する日に石垣の楽器屋で買ったCDが実は安里さんのデビューCDであったことも、後に気付いた次第であった。

音楽がそれが生まれた風土を想いおこさせる、そんな歌い手である。ライナーノーツで藤原新也さんが書くように、決して美声ではなく沖縄本島の歌い手のような洗練はないが、八重山民謡が実に八重山そのものを歌った歌であることを伝えてくれる。空と海がつながる青さやサトウキビ畑に囲まれた集落、波の音しかない砂浜。安里さんのCDを聞くたびに、そんな八重山への想いが募るのである。

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もうかれこれ20年近く前、ベネズエラ出身の友人にスペインのお土産ということで、フラメンコのCDをもらった。

Enrique MorenteのEssences FlamencasというCDで、当時の現地の大御所だったらしい。今も時折聞くのだが、素晴らしい。

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去年の秋、アルモドバルの新作ヴォルベールを観にいった。まあ、観客の少ないこと。関西ではこんなものかなあ。私もそうだが、映画館には足を運ばずに、レンタルのDVDを待つのかな。

アルモドバルらしい?、ええ!そうだったの?という起こりそうもないシナリオだが、ペネロペ・クルスが劇中で歌うフラメンコは、耳に残る。

年末の、Madridへ向かう列車で、車窓から見えるごつごつした岩と土の乾いた風景を見ながら、ipodで何度も聞いた。

この曲は、女性が歌う方が良いのかもしれない。

当然のこと、歌はペネロペの口パクで、実際に歌っているのは、先のEnriqueの娘、Estella Morenteだそうで。




20080125

バルセロナ最終日

夜21時過ぎの飛行機でbilbaoへ向かうため、barcelonaの最終日。メトロからカタロニヤ鉄道に乗り継ぎ、ガウディが途中から引き継いだサンタテレサ女学校へ向かう。周辺はbarcelonaのいわゆる山の手、神戸とは違い戸建住宅ではなく、5~7層程度の中層アパートメントが建ち並ぶ。


女学校なので、見せてくれないか?と守衛のおじさんに聞くが思ったとおり、微笑みながら「そりゃあ、無理だよ、セニョール」との返答。通りから塀越しに眺める。建設コストが厳しかったと聞くが、素晴らしい。ガウディの気持ちが十分に入った良い建物。押えた意匠でここまで見せるのはやはり天才なんだ、と実感する。

ここを卒業した人たちはこの建築とこの学校での生活を自慢できるだろう、いろんな思い出とともに。


市内のゴシック地区に戻り、Richrad Meyerの現代美術館。政治的な意味も含んだ再開発で、周辺の夜は少し危険かもしれない。美術館そのものは、Richard Meyerですね?そうですね。以上でも以下でも無し。長いスロープ(ランプ)は疲れるだけ。ホールは間延びしている。なんで、彼に頼んだんだろう。Jean Nouvel もherzogもこの美術館も、Barcelonaの最近の建築は見るべきところが無い。建築家の問題ではなくて、クライアント側に問題があるのでは、とも思いたくなる。




カタロニヤ音楽堂そばの建築。建築論からすればなんのことはない建築物であろうが、香りのする建築。私は非常に惹かれる。こんなビルにアトリエを構えられれば、最高。そんな風に思う。

そうこうするうちに、フライトの時間。荷物をホテルから引き上げ、空港へ向かう。

スペインを短期間で回ろうとする方へ。イベリア航空のウェブ発券は渡航前に日本からスケジューリングできるので楽だし、搭乗時刻を選べばびっくりするぐらい安い。約1時間のフライト(たとえばBarcelona-Bilbao)は総額50ユーロ以下、もちろん季節にもよりますが。伊丹ー羽田と比較してください。スペイン国鉄renfeの遅延や本数の少なさをさらに考えあわせれば、非常にお得な気がします。



20080108

Colonia Guel、バルセロナ近郊にて

20年前は見る機会を作れなかったコロニアグエルへ出かけた。バルセロナのメトロが工事中でカタロニア鉄道への連絡駅がメトロマップとは異なっていることを、臨時のボランティアの女の子が教えてくれた。どうもありがとう。やはり、バルセロナは国際観光都市である。少々わかりづらかったが。

コロニアグエル駅で降りて、ツーリストインフォの例のiの標識を辿って市街地に向かう。

グエル財閥は健在のようで、駅近くにはグエルと名の付く大きな工場が操業し続けている。街中心部のそのインフォメーションでは日本語のガイダンステクストもあり、コロニアグエルの中心部一体が工場で働く労働者や管理者の住宅を含んだ、集合住宅群であり、ハワードの田園都市にいくらかの影響を受けていることを知った。住宅群は何人かの建築家の担当であろうが、いくつかの住宅は今も丁寧に使われており、見るべきものがあった。





ガウディはこの地の教会の担当で、それがコロニアグエル教会。地域の教会にふさわしい、愛着を持つにはちょうどいい小ささで、好感は持てる。ただ、私にとってはガウディは少し脂っこいのだなぁ、これが。ガウディ独自のプロポーション感覚など、天才であるのは間違いないのだが。


バルセロナに戻る途中で、ボフィルのオールデン7が遠くに見えるが、もういいや。寒すぎた。バルセロナ市街地に戻り、カサミラ。外観のヴォリューム、プロポーション、サッシュの納めかた、踊るようなキャストアイアン、あえて美しい、と言いたい。



カサミラは先のブログで書いたように、今は公開され、最上階はガウディミュージアムとなっていた。見ごたえあり。
写真は、あまりに著名なガウディの懸垂構造モデル。写真を逆さまにアップしたのではなく、そのモデルの下に鏡が置かれ、その鏡像の写真。
物の本によると、この懸垂モデルをもって、ガウディの構造センスを問うのだが、私はそうは思わない。モデルニスモとは言うけれど、間違いなくガウディ造形の一部は中央ヨーロッパの盛期ゴシックを起源としている。フランスのシャルトルに代表される、フライングバットレスを用いた、強烈に緊張感のあるゴシック聖堂の構造形式は、そのヴァリエーションは試しつくされ、ガウディはそうではない構造形式を模索していたのだろう。私はそう思う。だから、スラストを分散させやすい放物線に固執したのだと思う。その結果、垂直性の強さが薄れ、ガウディ独自のディメンションが出来上がったのだと考えている。


20080105

なんだこりゃ、バルセロナにて

昨年末、多忙の中10日を休み、たくさんの人に迷惑をかけつつスペインへ行った。おおよそ20年ぶりの濃密なバルセロナ。

ガウディのカサミラやカサバトリョは、20年前の当時は観光名所ではなかった。カサミラもカサバトリョも中庭までしか入れず、警備員(管理人?)に追い返された。幸運にも、カサバトリョではバルセロナの建築家協会の会員たちだったと思うが、1戸の住宅の見学会に遭遇し、日本からわざわざ来たのなら一緒に見ましょう、と案内を受けた。

ところが今は、双方のカサとも、内部にも入れるし、カサミラは屋上まで上がれる。まあ、ガウディについては、次回に。

20年前には無かったビッグネームの建築家、Jean NouvelとHerzog de Mouronの2作を見に行く。結論から言うと、なんだこりゃ。

Jnのタワーは、1階のエントランスだけを見た後、それ以外の公開されたスペースには足を踏み入れなかった。パリの副都心でJNが見せた美しい模型から10年以上は経っていると思うが、あのパリのプロジェクトもこんな風にするつもりだったのだろうか?

ファサードの下品な色使い、新手のジャロジーか???貧相極まりない


続いて、HMのコングレスホール。バルセロナの海沿いの再開発。さびれた場所、再開発なのにもうさびれている。

中には入れなかったので、概観のみ。上記のJNの作品と同じ。ちょっと考えたまま、思考停止。ディテールなど無し。軒天井のステンレス板は、へたくそなパチンコ屋でもこうはしないだろう、と言う風な下品さ。学生の卒業設計がそのまま出来た風。これもまた、ひどかった。


コングレスホール近くに、雑誌AUで紹介された集合住宅。ファサードがルーバー扉なので、フォルムが輻輳して美しい。けれど、ディテールが大雑把なせいか、アルミアルミしすぎているせいか、香りが感じられない。

ああ、メディアなど信用してはいけない、の好い見本となる建築群であった。正直、がっかりしたし、また、よおし、と元気も出た。

20071205

IHSIN-緑陰の建築

ずいぶん前に、ギリシャアテネのアクロポリス近くのレストランで昼食をとった。食事をするのは屋外の中庭で、そこにはよく茂ったブドウの樹が中空に張られた針金にその枝をからめて、優しい緑陰を造っていた。まさに、ブドウ畑での食事のようだった。

造園業を営む企業の新規事業のための計画である。厨房のみを建築として作り、カフェは多種多様な植物による壁や屋根、もちろん雨も風も防がない壁や屋根である。造園業を営まれているのだから、そのノウハウを駆使してもらって、植物が造りうる新たな環境を作り上げたい。





20071016

Lisbon Story

ずいぶん前から、Wim Wenders のフィルムには共感を覚える。”ベルリン天使の詩” Himmel uber Berlin der, ”都会のアリス”Alice in den Stadtenには、他国の都市でありながらも、私の住む都市となんら変わらないように感じてしまう。

日本びいきで知られる彼だが、”夢の涯てまでも”Bis ans Ende der Weltの中の東京は、紛れも無く私の知る渋谷である。

彼のように、今の日本を撮れる人は少ないと思う。映像において何がリアルなのかについての、彼の洞察をふまえた上での話しだが。

絶版となっていた”リスボンストーリー”が、限定盤なのだろうか、アマゾンで廉価での予約注文の案内が届いて、さっそく注文した。

冒頭で主人公が”一つのヨーロッパは一つの連なった大きな国のように感じる”というセリフを語り、ドイツ、フランス、スペイン、そしてポルトガルへと、異なる言語のラジオ放送を車で聴きながら、高速道路の長旅を続ける場面がある。

ヨーロッパの人たちからすれば、私は立派に異邦人だが、EU以降のヨーロッパにはやはり、このような感慨を抱く。言葉にすれば、大してめずらしくも無い感慨だが、実感することとは違う。まったく違う。

たくさんの建築を最近ヨーロッパで見てきた同業者からは、こんな感慨を聞くことも無く、お決まりの単体の建築論だけで、正直辟易する。

この映画の主人公は、リスボンに住む知人のディレクターに呼ばれ、音響技師として赴くのだが、知人にはなかなか会えない。その知人は編集しない、誰にも見せない”新しいフィルム”を未来のために作って、保存すると言う。

主人公はリスボンの歌姫に恋をして、リスボンとその歌姫に対する彼の現実の感情を膨らませ、知人に対して、「未来よりも今だよ、君の感覚を信じろよ。」と語る。

私も、私の同業者に言いたいと思う。

「未来よりも今だよ、君の感覚を信じろよ。」




20071003

洲本STH 顔の内部から

先週のオープンハウスでは、60組が訪れたとか...

中には数時間を過ごした方もいたらしい。

深謝!!!




20070726

今年はなんでもLe corbusierの生誕120年だそうで

今年はなんでもLe corbusierの生誕120年だそうで、いくつかの雑誌で特集を組んでいる。

東京では森美術館で、秋までコルビュジェ展があるそうで...。行きたい。

パリのラ・ロッシュ=ジャンヌレ邸をはじめて観たのはもう25年近く前になるが、そのあとも幾度か観たけれど、最初に観た時の印象はいまでも鮮明に憶えている。

特に、エントランスホールに招き入れられた時に感じた、それまで(今までも)感じたことの無い、様々な空間群がそこから始まっていると言うか、そこに集まってきたと言うか...。

マーク・ロスコの巨大な絵を観ていると、自分の意識がその絵を入り口にして、別の世界へ導かれていくような不思議な感覚になる。まあ、私だけかも知れないが。

コルのラ・ロッシュ=ジャンヌレ邸のエントランスホールに立った瞬間は、まるでこんな感じだった。

ところで、各誌のヴィラサヴォアの色だが、また、白に戻されたのだろうか?確か25年くらい前の修復の際には原設計の色に戻すということで、3層部分の小さなヴォリューム群はサーモンピンクやブルーに塗り分けられていた。どういうことなんだろう。

とはいえ、私は、ずっと昔のモノクロ写真のヴィラサヴォアが好きなので、原設計がどうであったかはさておき、私にとっては今の方がヴィラサヴォアらしいのである。

これは、満貫色のパルテノンを見たくないのと同じ




20070719

ATUZ the snake slithered across the bush

淡路島の東の海を望むウィークエンドハウス。

計画倒れにならなければよいのだが...





20070714

Antonio Carlos Jobim の Brazil

今夕、台風4号が関西に上陸らしい。ここからほど近い夙川の水量は増え続けていて、よく見かける小魚たちはどこに隠れているのだろう。河口まで流されれば、待ち構えるスズキに飲み込まれますよ。

こんな今頃の湿度の高い日本で、ちょうど今頃、エアコンが程よく聞いた室内やバーで、bossanovaを聞くのは実に心地よい。ブラジルではどんなだろう。エアコンの室内気候で聞かれるのだろうか?

WaveやTideも名盤だが、このStone Flowerも間違いなく名盤である。重すぎることなく、でしゃばった音も無く、かつ、濃いbossanovaを聞かせてくれる。何しろ、バックのプレイヤーはロンカーターなど、一流どころだから当然のこと。

このアルバムに収められたBrazilという曲は、何かのサウンドトラックから引き出された曲と聞いた覚えがあるが、定かではない。ポルトガル語に明るい人によれば、この歌詞は、Brazilを故郷と恋人の双方に見立てて、その想いを歌っているらしい。

英語の歌詞が付いたこの曲(プレイヤーはjobimではない)は、映画「未来世紀ブラジル」のテーマ曲として使われている。この映画の中でのBrazilはどこかにある楽園で、そこへ二人は逃避行を企てるのだが、彼女は消され、彼は「あちらの世界」に閉じ込められたまま、楽園の夢を見続ける。

こんな不思議で、哀しい、この映画のエンドロールにこの曲は流れていた。





20070623

Kleihuesの白スタッコ

イヌイットには雪を表わす言葉が20種類以上あると聞く。雪に馴染まなければならない生活が、それらの微妙な差異やおそらくは雪に対する彼らなりの感情を伴った表現を見つけさせて、そして命名されたのだろう。

その一方で、米国人はわかめや海苔や昆布を食べないからだろう、それらは海草seaweedで括られてしまうらしい。


外壁や内壁を、いわゆる白で塗装する際に、ほんの少しだけ黄や赤を混ぜて現場で調色し、色見本を何種類か作って色決めをすることがしばしばある。漂白したような白が白々しくて(文字通り?)、あまり好きではないからかもしれない。先のブログで書いた書籍「日本の伝統色」では、牡蠣ガラから作った「純白」と言う色があったらしく、その色見本は穏やかで、静かな白である。言い換えれば、穏やかさ、静けさを伝えてくれる白である。色見本はただの印刷物であるからテクスチャーなどまったく無い。しかし、うまくは説明できないのだが、この「純白」は何かのテクスチャー(肌理)を連想させるよう強いているように感じる。



ベルリンで訪れたHamburger Bahnhof Museumは、Josef Paul Kleihuesによる駅舎の改築である。他の彼の作品にはほとんど興味はもてないのだが、この作品には自然で無理の無い穏やかな空間を感じ、その収蔵作品への興味もあって、冬のベルリンの一日を楽しんだ。

駅舎の鋳造鉄骨、花崗岩の床、アルミニウム、木製の床など、各室のスケールは大きく、テクスチャーそのままが表現されているが、この内部空間はピリピリしていず、非常に心地よい。外光を大事に扱って、かつ、ブルータルになっていないのは素晴らしかった。Donald  Juddの作品群がここに居場所を見つけたように、ちゃんと納まっていた。



大きな壁面の大部分はいわゆる白のスタッコなのだが、おそらく何か特別な調色をしたのだろうと感じた。日本に戻って調べてみたら、この白スタッコは特別に作られた白スタッコであり、Kleihuesは原料や製造工程まで気にかけたらしい。



ああ、巨匠はやるなあ、と素直に自省した。


20070621

顔/ファサード

 


長女が生まれてすぐ、やっと光を見つめることが出来るようになった頃だったと思うが、私の顔を見るのではなく、私の手の指やその影を彼女の視線が追いかけていることが多かった。彼女の外界の、すぐそばにいる何らかの存在を私の指が代表している、いや、指そのものが独立した生き物というふうに感じていたのかもしれない。生まれたての赤ん坊に、どの程度の意識や視力、外界に対する不安があるのかは、まったくわからないが。

「相手の顔をみて挨拶をしなさい」と両親に言われて育って、また同じように、私は娘たちにそんなふうに言ったと思う。一般的には、顔がその人という存在のインデックスだと習慣的に思っているし、「顔はその人の人生を...」なんてことも言われる。

顔は、その人の内面や感情の起伏を窺い知るには、もっとも情報量の豊富な器官ではあろうが、その人の内面と、その人の顔から想起する内面の不一致に戸惑うこともしばしばである。

フランシスベーコンの一連の奇怪な顔は、彼なりの顔という不思議な器官へのオマージュなのかもしれない。彼は、怒りも笑いも憎しみも表現できる日本の能面について、どんなふうに感じていたのだろう。



20070614

オキーフの色/抽象

ジョージアオキーフの絵の、その色使いというのだろうか、我々のまわりの世界を聖なるものとして感じさせてくれる。描くものは、現実に存在する自然や静物ではあるが、写実を目指した色ではなく、色使いによる抽象とでも言えるのだろうか。


仕事柄、建築の色決めを数多く行うが、日本の塗装屋さんがいつも使う、日本塗料工業会の色見本には、いつもいつも思うことだが、「いい色」が無い。

塗料が今の工業製品では無く、自然の鉱物や植物から作られた江戸時代の色見本とその色の名前の由来を教えてくれる書籍「日本の伝統色」は、しばしば重宝する。どのページを見ても、「いい色」ばかり。また、色の名前の由来も面白い。

数百万色を用いた広告や映像に囲まれた私たちのこの時代は、現実の自然の色をカラーコピーとして模倣する技術を獲得したのかも知れないが、色の中にも貴賎があり、かつて貴い色があったこと、その貴い色にしか名前が無かったことを思い出させてくれる。

大学時代に御世話になった、坂倉建築研究所の故西澤氏が、海外で手に入れたデュポンの色見本を現場に持ち込んで色決めをしていたと聞いたことをなつかしく思い出す。

 


20070514

ジョゼ・ボヴェ




パリからTGVに乗れば、すぐに田園風景が現われ、パリがフランスの中の特別な都市であることが、あるいは正しく中央集権国家であることが、ことさら強調されているかのように感じる。新幹線の車窓の風景とはまったく異なり、人家が延々と続くこともなく、けばけばしい看板も、夜間にサーチライトを上空に向けるパチンコ屋も無い。田園地帯では、フランスの誇る、どこまでも奥へ先へ次へと、フランスお特異の洗練が施され続ける世界中が愛する農産物、ワイン、チーズなどなど--幾多の国々に輸出できる農産物の価値はここで造り出されたのだと感じる。

ある地方の農産物を国際的な評価を受ける程に造り上げた、フランス人の嗜好とアイデアは素晴らしいものであろうし、それゆえに、植民地で施されるプランテーションとはまったく異なる、生態系とバランスの取れた農業が行われ続けているに違いないと、風景の美しさも手伝ってか、そのように勝手に思い込んでいた。

しかし、実はそうではなく、日本と同じく、肥料による土壌汚染や劣化、農薬過剰に深刻だと知ったのは、下のジョゼボヴェのインタビュー本であった。

様々な試験やシミュレーションを猛烈なスピードで繰り返すことの出来る工業と違って、農業においては、ある作物が1年に1度しか収穫できないのなら、その製品は1年に1度しか改良できず、古来からの農業の変革スピードと工業のそれが著しく乖離し、品種改良やはたまた遺伝子改良においては、想像を超えた工業化が進んでいると言う。プランテーションの現代版そのものであると言う。

日本の食料自給率はカロリーベースで40%程度しかなく、先進国中飛びぬけて低い。食糧安全保障などという敵対的な考え方をするまでもなく、異常な食料輸入を前提とした食生活、ライフスタイルに危機感を覚えるのは私だけではないだろう。そのうえ、食料輸出国の事情が、アメリカやブラジルなどの作付け面積の巨大なプランテーション農業の劣化はさておいたとしても、フランスのような自国の嗜好を国際的な価値付けが出来た国でさえ、日本と同じ問題を抱えているとなると、もう施しようのないことなのかと落胆してしまう。

ところが、自国の風土に合わせた地産地消を見事に実現している国があるらしい。それも大都市ハバナで。キューバの有機農業については、次回。

20061115

エンドレスサマー2

 


"WHAT IS OMA-レム・コールハウスとOMAについての考察"のなかで、レムが「この地球における文化を巨大な波にたとえ、それに対する建築上の戦略として、波頭に乗るサーファーのイメージを提出した」とある。このエッセイの書き手はこのあと、このレムの物言いをグローバリズムへの無批判として痛烈に批判していくのだが、まあそれはそうとしても、本当にそんな風に無邪気に楽しめているのだろうか。

サーファーの友人から薦められて、エンドレスサマー2を観た。前作を含めてサーファーにとっては、あまりにも有名な映画だそうだ。ハワイやバリなどの素人でも想像できるサーフィンのメッカだけでなく、アラスカや南アフリカ、フランス西海岸などなど、ただただ乗って楽しい波を求めて、人がほとんど立ち入らない場所でも臆することなく、波の乗って楽しむことだけを求めて、世界を旅するサーファーコンビの珍道中は、カメラもすごい人なのだろう、その彼らの無邪気な心持と楽しさを十分に伝えてくれる。

正確にはロードムービーにはあたらないのかもしれないが、私はあえて最良のロードムービーのひとつと考えたい。


2つの透明性/STAH

 


いっとき(今もか?)、建築のファサードはダブルスキンばやりで、昨年末のベルリンでも至るところでみかけた。日本のダブルスキンがまずは建築単体のファサードの取り扱いに終始するのに比べ、ベルリンでは多くは旧東ベルリン地区の建築物のコンバーションにも用いられ、建築へ入力する日光や寒気の調節に、あるいは左右の建物とのファサードのリズムあわせなど、機能上の大儀があるように思う。大儀が有るから良し、というわけではないが、どうも日本でみるダブルスキンはだぶついた目くらましに見えてしまう。

私は、上の写真(「現代建築の構造と表現」所収)のさわやかな透明性に魅かれる。縦軸回転窓がガラスの壁に取り付き、不可視の壁が取り払われて「すがすがしくなりました」と言いたげな作者の顔が見えて、デザインの目標とその解決が理念上ぴったりと一致した穏やかな時代の意地の張らないデザインと見受ける。
さて、SSG工法やストラクチャーシール工法など、ガラス面を徹底的に平滑に作り上げる技術が拡がった現代は、薄くなるものは徹底的に薄く、細くできるものは徹底的に細く、そのうえ、コンピューターの演算能力の進歩からか、主構造体と副構造体のヒエラルキーは確固としたものではなくなり、サッシュのマリオン寸法のディメンションで悠々と建築物を支えられることも場合によっては可能となった。単なる物理的な透明性の獲得は、この数十年で飛躍的に上がったといえる。
再び上の写真について考えてみると、もし、この縦軸回転の窓がその窓枠とともに見付寸法(正面の寸法)を2倍にしたらどう見えるのだろうか?窓枠が目立ち、そこに余分な故意が見受けられるのではないか。あるいは、見付寸法を現代の日本の製品精度、施工精度にて徹底的に小さくすればどう見えるのだろうか?あまたあるカーテンウォール(CW)のオフィスビルとなんら変わらず、水平区画を表わす帯状の不透視のCWとガラスのCWのストライプ状のファサード構成に堕ちていくのではないかと思う。そして結論めくが、この写真のCWの透明性は、物理的な透明性だけでなく、実は非常に先進的な透明性を持っていると私は感じるのである。

コーリンロウの論文「透明性-虚と実」(「マニエリスムと近代建築」所収)には、以下の様にある。

---モホリは彼独自の外部の空間へと窓を開け放ったように見えるのだが、レジェの方はほとんど二次元の枠の中で創作を続けながら極めて明快な「陰」と「陽」の形態を作り上げている。このように枠をはめることにより、レジェの絵には両義的な奥行きが生まれ、モホリがジョイスの文章の中に見いだした虚の透明性が生まれているのである。---

このコーリンロウの用いたtransparantには最適な訳語はなく、本論においても訳書においても「透明性」があてがわれているが、transparantには、"物理的な透明さ"という意味の上に、"簡単に判別できる""明白な"という意味も同時に付与される。よって、虚の透明性とは、物理的な透明性のことではなく、彼の言葉を借りれば二次元平面の絵画に、透視図法によってではなく、三次元の存在を暗示することである。さらにロウは建築が三次元を相手にするものであるから、虚の透明性の実現は難しく、「一般に批評家は建築における透明性をもっぱら素材の透明性と結び付けたがる傾向にあった」と述べる。

もう一度、上の写真に戻る。作者はたしかに実の透明性のみを追いかけたのであろうが、窓枠や回転部分の枠見込寸法が現在の日常の寸法に近いゆえに、偶然にも虚の透明性を獲得したかに思う。窓や枠の形態やプロポーションの、日常に見受けられるそれらとの差異を意識することで、水平区画の帯状の不透視の壁の存在もあいまって、このファサード全体が、壁であるようで壁でない、そんな不思議なファサードに見えるのである。もちろんこれは、作者の意図ではないだろうが。



こんなことを考えながら、STAHが先月竣工した。既存母屋に寄り添うアトリエであり、建物の周囲は鑑賞する庭というよりも、家庭菜園のような身近な生活に密接な屋外空間である。既存母屋部分と同じRC構造躯体を用いて、2重の透明性をどのように獲得するかに重点を置いた。RC躯体の形態とプロポーションの操作によって、RC躯体でゆるやかに境界付けられていることを感じると同時に、庭にも囲まれていると感じられるような空間を作り上げたかった。


錦鯉の里_小千谷市