20140719

2014_Prague_b スグラフィット

 

プラハ旧市街広場で見かけたスグラフィット。






クラクフのこれもそれだったと思う。



バルセロナのこれもか?



我々の時代には装飾と建築あるいは街との優雅な関係はもう望まれていない、悲しいことに。

そして今日もシリアのダマスカスで破壊され続けている建築群。装飾が無ければそれらの建築はほぼ評価不可能だろう。けれど、装飾どころか、すでに世界遺産のいくつかが爆撃で破壊されたと聞いた。言葉にならない。


20140710

Helsinki Denpasar



GA129号で、移動_空間_建築をタイトルとした数人の建築家へのインタビューを読む。興味魅かれる記事は無く、移動の意味を人間の歩行速度あるいはクルマのそれに関わることにほぼ限定していて、かつ内容は散漫で、タイトル倒れの印象。先頭ページが「未来派」って、いまさらなんだろう。ギデオンの空間_時間_建築をなぞったタイトルだろうが、それへの言及もない。

昨年ヘルシンキの滞在中、中心部からヘルシンキ工科大学へ向かう際に、トラムばかりではあのヘルシンキの群島の地形は体感できないと思い、めっぽう暑い中を往復10kmほど歩いた。群島を結ぶいくつかの橋を渡るのだが、行けども行けども着かない。歩いている人などjoggerかNordic Skiの練習中以外は一人もおらず、クルマか自転車だけ。
自転車の移動距離はそれほどトレーニングしていなくても歩行者の10倍程度はあるだろうし、クルマほどに移動ルートや停車場所を制限されない。自転車乗りが日本でもこれだけ増えているのだから、自転車乗りにとって魅力ある専用道やカフェ、公園など、これから都市計画スケールで構想、実現できることはまだまだあるのではないかと思いついた次第。GAでは自転車乗りの建築家のコメントを求めるべきだったのでは、とも思う。

ずいぶん昔バリ島へよく行った時期に、現地の人がクタからデンパサールまでホンダのバイクで案内してくれた。クタからデンパサールへの道沿いにはガムランの練習場がいくつもあって、そこをバイクのスピードで通り抜けたときの体験は忘れられない。
前からやってくる風に乗ってガムランが近づいてくる。少し先の右からガムランの音がどんどん大きくなる。通り過ぎると小さくなり、そうすると今度は、少し先の左から別の練習場のガムランの音が重なってくる。両耳が異なるガムランに包まれるように、ガムランの音に呼ばれるようにバイクが走っていく。バイクのスピードでなければ感じられない体験だった。

20140702

2014_Prague

グランドブダペストホテルを観る。幾人もの上手な役者さん達、楽しい映画。

多くのブログで触れられているように、この映画のエンドロールではシュテファン・ツヴァイクにinspireされたと。

これから読むのだが、1930年代をオーストリア・ハンガリー帝国で生きた時代の回顧的準遺作「昨日の世界」には、“ヨーロッパが失われた”と書かれているらしい。

この数年の世界中の混沌を見るにつけ、再びこんなフレーズが世界のいくつもの場所で発せられるのではというような不安を感じている人は少なくないだろう。

先月のプラハでは、そのヨーロッパを維持、再現した以上、以下でもない、何か窮屈な印象を受けた。中世の町並みの香りなどと聞いたが、非常に手入れの行き届いたテーマパークのよう。オーストリア・ハンガリー帝国の一部を成した、ボヘミア。街にはほとんどその香りは感じられず、閑散とした美術館にわずかにだけ。それにしてもあの街を埋め尽くす旅行客はプラハのどこに心を動かすのだろう。






20140218

2013_Krakow_The church of Virgin Mary

 






非常に明るい印象を受ける教会。ステンドグラスやその他の装飾がその配置や色のバランスが非常によく、節度があって、美しい。ヨーロッパでは数百の教会堂を見てきたが、その印象は際めてよかった。Wawelで感じたように、ポーランドには節度ある、日本人の私には特にそう感じるのかもしれないが、素材やディテールに対する似たような感覚がかつてあったのか、とさえ感じる。「過ぎたるは、なお及ばざるが如し」...ポーランド語にあるのかな。

20140217

2013_Krakow_c


クラクフのJewish Districtのシナゴーグをいくつか見て回る。ひとつだけ礼拝堂そのものを見せてくれるところがあった。他は入堂禁止。天井の装飾はいただけないが、壁に散見されるヘブライ文字。タルムードだろうか。偶像の無い、ミニマルとも感じる小さな空間は、他の観光客もいない。ステンドグラスで演出された光も無い。どこか遠くを想う場所なのだろうな、と感じる。どこか遠くとは、この世にある場所ではなく。








ユダヤ人居住区の中心部を3DCGとパネルで案内した小さなギャラリーがあり、その1枚。
旧市街から河を隔てたかつてのユダヤ人居住区は塀に囲まれ、居住地区には彼らの墓所もあった。後で訪れるワルシャワ空港では、テルアビブへの航空便が発着案内の掲示板にいくつか見かけた。今もユダヤとの関わり深いポーランドなのだと感じた。


20140216

2013_Krakow_b

 



クラクフ各所で見かけた、半分壊れたあるいは放棄されたレンガ造建物。もし仮にリストア、コンバーションのコンペでもあれば是非参加してみたいと思うほど。色々と創造をたくましくしながら周囲をみて歩く。壁からも雨漏りするのだろう、ルーフィング貼ったままのも。




一部をリストアして使っている。こんなところにオフィスがあれば、カッコイイだろうな。

すぐに古い建築をなんだかんだと理由をつけて、壊してしまう、その後にどうしようもないものを良く考えずに作る。たいして必要なものではなく、投資のための投資。そんな日本を振り返れば、投資先に困るほどにだぶついた資金のことを、「潤沢な資金を保有している。」なんて言ってていいのでしょうか。


20140215

Southern Lesser Poland_Sanok_2013

ポーランド国内のロシアイコンを集めた美術館、とどこかのwebで見つけて、ウクライナに程近いSanokを訪れる。古い屋敷を改造した美術館で、ロシアイコンを収容する旧館と地元の現代美術を展示する新館で構成されているが、建物そのものはまるで魅力なし。

けれど、ロシアイコン好きにとっては、何時間でもいられる場所。日本ではこんな展覧会はまず無いだろう、絶好の美術館だった。

それにしても、推測だが、これらのイコンを保持していた教会は放棄されたのだろうか?それとも何か他の理由でイコンが収集されたのか?わからない。















20140214

Southern Lesser Poland_2013b

 







Debno、Sekowa、Orawka、Kwaiatonなどなど。いくつかの木造教会を二日間かけて見て回る。ロシアの影響を受けた様式の教会群は、ルーマニアからポーランド、スロヴェキアにまたがって残っていると聞いた。決して大きなものではなく、ものすごい施工技術で作られているわけでもない。今も地元の大工さんが細々とメンテしている感じ。釘を面打ちしたところなどたくさん。ちょっと素人っぽい造りではある。

けれど、すばらしいヴォリューム感覚を感じるいくつかの教会、何時間でも見ていられそうな祭壇画。時折訪れる観光客や短い礼拝に訪れる地元のおじさん、おばさん。

どの教会も地元の人々から愛されているのが良くわかる。UNESCOの予算がついて駐車場整備をしているところなどもあったが、そこは逆に興ざめであった。

小さな村にひとつずつ。低い塀で囲まれた教会の敷地内にはたくさんの墓石が並び、その村で生まれ、そして死んでいった人たちだろう彼らが教会の横に眠る。





20140213

Southern Lesser Poland_2013





クラクフ空港でレンタカーを借りる。ポーランド南東の世界遺産に登録された木造教会群を見るのが主目的。

レンタカーにマウントされたナビが壊れることも警戒して、日本でgarminのナビとヨーロッパ地図データのminiSDを購入。Google earthから目的地すべてをPCからgarminに入力し、旅先へ持っていった。

シガーソケットから電源を取り、レンタカーで起動させると、日本車の純正ナビのような丁寧な日本語では話してくれないが、驚くほどの精度。タッチパネルの感度はイマイチか、と思うが、慣れない海外では本当に心強い。試してみてよかったと思う。









 

20140119

Krakow 2013

クラクフは2013年、ヨーロッパ人観光客の訪れてみたい都市の上位に入ったらしい。街を歩いていて、誰かがこう言ったのを聞いた、”Every day is on Sunday”。そのとおり、観光客が多い。多すぎる。摂氏35度を軽く超える夏、古いホテルではエアコン無く、旧市街は早朝まで若い子たちが通りで騒ぐから、窓を開ければ眠れないし。また静かな時期に訪れてみたいから、もう夏には行かないだろう。








いくつかの力強い、存在感ある建築---たいしてrestoreされていないので、よけいに印象深い。「世界遺産」登録はほとんどいつも政治的な意味を含んでいるが、クラクフにおいてはその旧市街全体が対象になったのも理解できる。ワルシャワと比べれば、ほとんど世界大戦の破壊を受けておらず、昨今の陳腐な再開発も無く、旧市街は魅力ある建築群が目白押し。いつの時代か(おそらく19世紀)、イギリス人が多数移住したらしく、洗練された、様式の混淆を見つけられる。
とはいえ、ヨーロッパの中心ではなく周辺であるから、真正にオリジナルなものはほとんど無いのだけれど、佇まいの良い建築の多いこと。





Wawelに似た、裾の広がったヴォリュームを持つ旧市街地の建築物。



Wawel近く。3層構成のルスティカ形式をなぜか、2層目だけ、それも積んだものではなく描いたもの。どうしてここで止めたのだろう。建築様式史的には、「誤り」であろうが、微笑ましい。見ていて楽しい。






Wawel。

幾度も改築、増築を重ねているが、その時々の質の高い意匠を施して、ハイブリッドというのだろうか、多層的というのだろうか。イタリア人建築家が担当したといわれる中庭。閲兵式などに使われたのか、本家と比べ、異常に広く、大きい。ディテールはイタリアにあってもおかしくないほど質が高い。ただ、大きすぎるのでは、と感じる。

イタリアの王宮前広場は、いわゆる外向けのファサードを用いているが、Wawelでは、フィレンツェにあるような個人邸宅の中庭のファサードを300%拡大コピーしたみたい。確かに王宮なのだが、商業的に成功した都市クラクフだからか、王宮も権力の強さを露骨に示す意匠ではなく、商業都市の明るさ、開放性を感じる。ヨーロッパ文化の周辺であったポーランドの王は当時の国際的な文化受容を意識的に、積極的に行っていたのではないだろうか、周辺国との関係を思慮して。王宮内部は写真撮影禁止であったけれど、家具、調度品の抑制の利いたデザインは一級品であった。



錦鯉の里_小千谷市