夕方に倉敷に到着。
大原美術館のgreek revival、棟にアカンサスまであり。
しっかり学んで模倣したものは、価値がありますね。
昨日は手術後6か月の定期検診で、兵庫医大に。
再発もなく、順調に右肺が拡大しているとのこと。これから当分は再発の有無を3か月ピッチでモニタする、ガン手術経験者みんなそうらしいけれど、あぁあ。
本当はガンになったことなんか、忘れたいんだけどね。
これまで以上に、
行きたいところにはすぐに行きます。
見たいものはすぐに見に行きます。
そして、大事な家族や好きな人には、機会ある毎に、ありがとう、と伝えないとな、と思います。
どこで知ったか忘れましたが、ナポリのScampiaをベースにしたドラマ。
Scampia, 大変大変危険な場所で。
日本にはドラマ配信が入ってきていないので、AmazonUKに注文、そうして届く。
英語字幕しかないけど、ほとんどAI翻訳でしょう、私はすごく頭つかいますが。
徹夜してもDVD12枚、観てしまいたい。
先週末の土曜日の夜、池袋で集まりがあるからと、出掛ける。朝に成田まで飛んで佐倉にある美術館に向かう。#ロスコルーム、10年ぶりかな。
川村記念美術館では今一切nophotoなのですが、以前はずいぶんラフでした。テートでの事件あったからかな、警戒中。
高村薫のロスコの表紙と、ずいぶんぶりに復刻のロスコの絵画論。
なんでうちの古机と色合ってる?
ギリシャアテネではいたるところに自生しているアカンサス。
建築様式を学んだ者なら、コリント式のモチーフとして知っているはず。
大きな葉は50cmくらい。大した手入れをしないけどすこぶる元気で、今日気がついたら沢山の花茎が立ち上がろうとしている。例年初夏へ向けての楽しみです。
昨日は大学での講師の日でした。来週はGWでお休みなので、次回は再来週。
ということは、昨日は、平成最後でありました。
明日から平成最後が目白押し。
平成最後のうな重とか、平成最後のしっぺ返しとか、平成最後の.....以下、略
フランス人の初代司教が設計、鉄川与助が施工、と伝わっている堂崎天主堂。穏やかな海に面した静かな場所。
建築意匠は凡庸だが、とても趣ある場所。
それよりも、離島の、さらに奥まったこんな場所で十数世代に渡る秘密の信仰があったことこそ、幾重にも驚く。
昨年冬に右肺に初期の肺がんが見つかった。患部が2箇所で切除は難しいのではとの当初の所見であった。が、精密検査を重ねて、セカンドオピニオンでは切除可能となった。年末ぎりぎりに右肺を大きく切除する手術を受けた。昨日の術後の検査では順調に回復しているとのこと。肺の容量が大きく減ったので、すぐに息があがる。まだ体調は回復途中だが、がん患部切除に成功したことを喜びたい。
画像はフォンタナのいつものやつ。手術してからはこんな手術跡みたいなフォンタナは見たくなくなった。
My concerns...Homo Deus >>> Sapiens
Today I got 2 volumes of Japanese editions. I really waited for.
I start to read.
今日は大学での非常勤講師の曜日。若い学生と話すのは心底楽しい。私が通った道を諭すのではなく、私が見過ごした道を一緒に散歩する感じ。こんなに面白いことができるのですね、と目をキラキラさせる学生を眺められるのは、実に幸せなこと。
学生たちに、幸あれ。
19:50あたりからの、
40年以上前の私のFender のJazz Bass、近々、フルレストアに出してみよう。ついでに、小さなベーアンも買うもんね。
橿原へ行く。
古墳時代の埴輪の一種だそうで、高さは小さな大人くらい。
縄文の生命感漲る発露はまるで感じないが、日本列島で初めてのごく小さな都市化の遺物と考えると、興味深い。
権力者の墓の副葬品として "ていねいに" 埋設されたこれが、ゆるキャラの一種に見えてしまうのだけれども。
私の印象、変でしょうか?
Wenders "Pina" のサウンドトラックから。
Miles 好きの方からしたら、少し弱いかもしれないけれど、十分好きです。私は好きです。
これから仕事場の掃除、要らないものをどんどん捨てる。どんどん。。。
で、ビートの強いこの ”All Names” 曲はもちろん、タイトルが凄くカッコいい。
もう30年以上前、東京に住んでいたころ、事務所近くに青山のBlueNoteがあって、R&Bのショーを見た。ヴォーカルメインでバックバンドが一緒に来日。誰が歌い手だったのかはもう忘れた。
バックバンドのギターは少し抑え気味だったけれど、非常に良い。でも、David T Walkerのような特徴あるギターフレーズなので、「影響受けた人なんだ。」と思っていた。そのうえ、セミアコ弾いて、あごひげもあるし。
ショーの最後にメンバー紹介があって「Our Guitar is David T Walker!!!」....ええええ~~~~
森田慶一の「西洋建築入門」(実は神戸大学建築学科の教科書であった)の序文には、
“...ヨーロッパ文化の一事象としての建築をいうのである。したがって、このヨーロッパは文化的なひろがりにおいて捉えられているのであって、地理学的な一定の境域を意味するのではなく、歴史的形成のうちに成るヨーロッパである。”とある。
ヨーロッパ建築史は新古典主義がフランス、イギリスに生まれた頃に作られた歴史観であり、上記の森田教授が述べるように「歴史的形成」の上の、言い換えればヨーロッパという概念を強化するためのヨーロッパ建築史であるとも言える。「西洋建築入門」の章立ても古代ギリシャから始まり、古代ローマ、初期キリスト教建築、ロマネスク、ゴシック、イタリアルネサンス、バロックを経て、新古典主義、アールヌーボー、20世紀初頭の近代建築を最終章とし、地理的、民族的な一貫性はない。また、ヨーロッパに少なからぬ影響を与えたシリアやエジプト、ビザンチンといった建築には若干の記述があるのみである。
新古典主義の時代に最強の国であった大英帝国をはじめとする諸国は、あくまで好意的に捉えればであるが、これらの数千年の文化継承の大義を理解し、引き受ける寛容さと努力を持っていた、と考えられるのではないか。
現代ギリシャの再興に各国の政治的思惑があったとしても、ヨーロッパという固有名詞を括弧付の「ヨーロッパ」へと、オリエントに対抗する一地方のヨーロッパを越える普遍的な「ヨーロッパ」へと。
さて、現状のEUはどうか。
物質的な均質空間/流通機構が専横し、精神としての普遍への希求に疲れ、北ヨーロッパの価値観でだけでギリシャを糾弾しているように見える。
フランコ・カッサーノは「南の思想」において、次のように言う。
「その仮説とは、「南」の近代化は不完全で不十分なものなのか、そうではなく、むしろそれだけが唯一可能な、現実の近代化ではないのか、というものだ。」
「ヨーロッパ」の普遍主義は原理的に、遅れているもの、弱いもの、生産力の低いものをあらかじめ要請しているのではないか、ひいてはこれがヨーロッパを疲弊させているとても大きな原因ではないかと私には受け取れる。
写真はアテネの国立考古学博物館の中庭にあったギリシャ彫刻。
昔火災にあったのか、それとも海水にでも浸かっていたのか
先月、ほぼ30年ぶりのアテネ。
プラカ地区は様変わりしていた、観光客向けに。
今日もアクロポリスは観光客の「巡礼」で大混雑だろう。
そして、帰国直後に彼の地は緊急事態。来週の住民投票の結果は世論を二分することになるようで、あのおおらかな人たちが互いにいがみ合うようなことにならないように、心から願う。
仕事とプライヴェートを含めてもう20回以上は訪れている沖縄。私自身、特別な感情をもっている場所である。
「これが沖縄の生きる道」を読む。
前半。
沖縄の状況分析は、ああやはりそうなんだ、と感じ入るところ多い。
自身の経験でも、那覇の裏通りで地元人と話したり、目取真俊の「虹の鳥」や大城 立裕の「恋を売る家」を読んだりすると、一筋縄ではいかない沖縄の政治的複雑さ、ひいては日本という国の同じそれを感じざるを得ない。中上健次は同様のものを新宮の路地から見たのではなかったか?
後半。
国際通りの景観の陳腐さを各地権者間の意思統一や協議が無いから、不統一で陳腐であって、とある。どうだろうか?不統一で陳腐であることは、そんなに沖縄に不似合いだろうか?
クラブメッドは要らない、とすれば、その処方箋は統一感ある沖縄的景観?
いくら表面を統一させたとしても、観光客向けの観光地としての景観なのだから、一種のフェイクであることだろう。
今年のプラハで感じたように、世界中の観光客へ媚びへつらった、いわゆる景観のディズニーランド化は仮に商業的な成功を伴ったとしても、それはプラハの必然的結果なのだろうか?違うと思う。
ホドロフスキーのリアリティのダンスを観る。
彼の出自と生い立ち。彼を苦しめ、そして成長させたもの。あの齢になってまでも引きずってきたのか。ホドロフスキーの実の息子たちを出演させてまでこの映画を撮ったと聞いた。
何曲かRosita Serranoだろうと思う。当時のチリを描くには欠かせないのだろう。Naziと結びついた歌い手というような扱いではなかったが。
プラハ旧市街広場で見かけたスグラフィット。
クラクフのこれもそれだったと思う。
バルセロナのこれもか?
我々の時代には装飾と建築あるいは街との優雅な関係はもう望まれていない、悲しいことに。
そして今日もシリアのダマスカスで破壊され続けている建築群。装飾が無ければそれらの建築はほぼ評価不可能だろう。けれど、装飾どころか、すでに世界遺産のいくつかが爆撃で破壊されたと聞いた。言葉にならない。
グランドブダペストホテルを観る。幾人もの上手な役者さん達、楽しい映画。
多くのブログで触れられているように、この映画のエンドロールではシュテファン・ツヴァイクにinspireされたと。
これから読むのだが、1930年代をオーストリア・ハンガリー帝国で生きた時代の回顧的準遺作「昨日の世界」には、“ヨーロッパが失われた”と書かれているらしい。
この数年の世界中の混沌を見るにつけ、再びこんなフレーズが世界のいくつもの場所で発せられるのではというような不安を感じている人は少なくないだろう。
先月のプラハでは、そのヨーロッパを維持、再現した以上、以下でもない、何か窮屈な印象を受けた。中世の町並みの香りなどと聞いたが、非常に手入れの行き届いたテーマパークのよう。オーストリア・ハンガリー帝国の一部を成した、ボヘミア。街にはほとんどその香りは感じられず、閑散とした美術館にわずかにだけ。それにしてもあの街を埋め尽くす旅行客はプラハのどこに心を動かすのだろう。
クラクフのJewish Districtのシナゴーグをいくつか見て回る。ひとつだけ礼拝堂そのものを見せてくれるところがあった。他は入堂禁止。天井の装飾はいただけないが、壁に散見されるヘブライ文字。タルムードだろうか。偶像の無い、ミニマルとも感じる小さな空間は、他の観光客もいない。ステンドグラスで演出された光も無い。どこか遠くを想う場所なのだろうな、と感じる。どこか遠くとは、この世にある場所ではなく。